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社会

「給料の高い会社に入ればいい」で終わる人が見過ごす“致命的なポイント”

鈴木謙介(関西学院大学先端社会研究所所長)

2019年05月16日 公開

「給料の高い会社に入ればいい」で終わる人が見過ごす“致命的なポイント”

<<耳が痛いほどに聞かされる「社会は恐ろしいスピードで変化している。個人も変革すべき」のような話。ただ、そう言っている人も「では、どう変化すべきなのか」を本当に理解しているのだろうか?

将来に対して不安を抱いていたり、現状に不遇感を覚える人たちが急増する日本の状況で、理論社会学者の鈴木謙介氏は、著書『未来を生きるスキル』を発刊した。

同書は鈴木氏が、未来に向けてどうあるべきかを大学教育の現場の状況を踏まえながら提言している「希望論」である。ここではその一節を紹介する。>>

※本稿は鈴木謙介著『未来を生きるスキル』(角川新書)より一部抜粋・編集したものです。
 

ほとんどの日本人に金融教育は不要だった

なぜ、日本ではこれまで金融教育がさほど必要とされなかったのでしょうか。

おそらく、お金を追い求めたり、資産形成に取り組んだりするような振る舞いが「はしたない」とみなされる文化的な要因の影響はあるでしょう。

しかし、それ以上に大きい要因は、戦後日本人の多くがサラリーマンとして給与生活者になったことです。

戦後の高度成長期、田舎から都会に出てきた人の多くが給与生活者になりました。そして、高度成長は給与の上昇と生活水準の向上を同時にもたらしたため、多くの人の頭のなかに「給与が上がると生活が良くなる」というイメージが形成されたのです。

この当時、給与が増えたことで、普及しはじめた家電製品なども買えるし、自家用車にも乗ることができました。すると、自分がなにかを生み出して得たお金で生活を拡大していくというよりは、成長する世の中の時流に乗りさえすれば良いことになります。

経済成長
 ↓
給与が増える
 ↓
生活が良くなる

多くの日本人が、このサイクルでしかお金のことを考える必要がなくなっていきました。

つまり、会社が成長することによって、自分の生活ランクも自動的に上がるイメージが作られたということです。もちろん、それは悪いことではありませんでした。生活していくうえでの心配がなくなり、現実に所得水準も上昇していったのです。

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フローの資産に頼っても死ぬまではもたない

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