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“ヤンキー”だらけの職場が大変身 新卒1万7千人の応募が殺到する老舗 「くず餅屋」

2019年05月28日 公開

渡辺雅司(船橋屋 代表取締役八代目当主)

 

「下町の老舗和菓子屋」はなぜ激変したのか

明治時代の船橋屋の外観
(写真:明治中期の船橋屋)

「船橋屋」がどういう会社かなんとなくご理解いただけたかと思いますが、じつは、初めから、こんな組織であったかというと、そういうわけではありません。

私が「船橋屋」に入った25年前くらいまでは、おそらく皆さんが想像するような「創業200年の老舗和菓子屋」でした。

目新しいことに次々とチャレンジするよりも、「くず餅」という長く愛される定番の人気商品をコツコツと売っていました。

そして、社員の自主性を尊重して、現場から次々とアイディアが湧き出て、それぞれがチャレンジ精神に溢れている、というよりも、どちらかといえば、トップがリーダーとしてみんなを束ね、それに社員とパートもしっかりと従い、みんなが一丸となって着々と成果を出していくという堅実な社風でした。

当時は、「創業200年の老舗和菓子屋」という思いもありましたので、次々とイノベーション事業を立ち上げるなど考えてもいませんでした。つまり、現在の「船橋屋」とはあらゆる面で違っていた会社だったのです。

もちろん私は、先代の社長、つまりは父や、昔の「船橋屋」を批判して、今のほうが良いという話をしているのではありません。私の父は東京の下町、亀戸にあった「船橋屋」を、百貨店の菓子フロア、いわゆる「デパ地下」での展開に力を入れて、「船橋屋」の規模を大きくした功労者であって、その経営手腕の凄さは誰よりも良くわかっているつもりです。

ただ、当時は、高度経済成長期やバブル景気という右肩上がりの時代で、欲しいものは百貨店やお店に直接足を運ばなければ入手できませんでした。一方、現在の「船橋屋」を取り巻く時代や環境というのは、大きく変わっています。 

現在の成熟化した社会では、インターネットによりあらゆる商品が入手可能になり、企業はお客様との密接なコミュニケーションを形成し、細やかな商品やサービスの提供が求められます。そのなかで会社組織のあり方も大きく変わっていくのは当然なのではないでしょうか。

 

ヤンキー風の社員がお客様に「タメ口」応対

会社説明会も入社希望の学生で大盛況の船橋屋
(写真=船橋屋の新卒採用説明会の様子)

25年前と現在で、「船橋屋」が大きな変化を遂げた。それがどれくらい劇的に変わったのかということをわかっていただくのに最適なエピソードがあります。

それは「パンチパーマ」です。

1993年の春、私は船橋屋に入社しました。大学を卒業してから、「三和銀行(現・三菱UFJ銀行)」に入行して7年間、有難くもさまざまな経験をさせていただいたのですが、父がいよいよ事業承継を本格的に考えるというタイミングもあって、最初は専務取締役という立場で、父のサポートをしながら、船橋屋の経営を叩き込まれていくというところからスタートしました。

しかし、最初は経営どころの話ではありませんでした。これまで働いていた「銀行」という、非常に硬い職場環境とのあまりのギャップに、毎日カルチャーショックの連続だったからです。

なかでも圧倒的にインパクトの強い思い出が、社員のヘアスタイルでした。男女問わずに茶髪率が高いのは当たり前。リーゼント、パンチパーマなどいわゆる「ヤンキー風」が多く働いていました。

このようなコワモテな風貌に加えて、さらに衝撃を受けたのが、そのあまりにもフランクすぎる勤務態度です。お客様に対する言葉遣いというよりも、近所の友達と世間話をしているような、いわゆる「タメ口」なのです。

ほとんどの人は、子供の頃から知っている顔なじみの「いいおじさん」「いいおばさん」。なかには私を自分の孫のように可愛がってくれた方もいらっしゃいます。私からすれば、彼らが悪い人ではないことはよく知っています。

しかし、店を訪れる人たちは、彼らの性根など知る由もありません。常連客ならいざ知らず、初めて訪れたお客様のなかには、明らかに引いている人もいらっしゃいました。

ご存じのように、銀行員はどんなに暑い夏でも、スーツ着用を義務付けられ、行内での言葉遣いや接客態度はもちろん、地域のなかでの立ち居振る舞いなども厳しく指導されます。

社会人として7年間、それが当たり前だとしつけられてきた私からすれば、当時の「船橋屋」は企業というよりも、マンガやドラマに登場するような、「下町の商店街にある老舗和菓子屋」だったのです。

ただ、当時の「船橋屋」をちょっと擁護すると、ヤンキー風の社員が溢れていたのは、何もここだけの話ではなく、下町の中小企業ではごく一般的なことだったのです。

東京にお住まいの方ならばなんとなくわかっていただけると思いますが、亀戸は、下町でも隅田川を越えてさらに東の「ド下町」と呼ばれるような地域ということもあって、大都会・東京というより、千葉のカルチャーの影響を受けています。

そして、その当時の千葉というのは、ちょっと前に子供たちなどにも絶大な人気を誇ったドラマ『今日から俺は‼』(日本テレビ系)などにも描かれているように、いわゆる80年代の不良カルチャーが色濃く残っていました。

当時の「船橋屋」の大半は地元採用だったため、販売員や職人たちにも、この「不良カルチャー」の洗礼を受けた人が多くいたのです。

このようにパンチパーマやリーゼントの働き手が溢れた「下町の和菓子屋」が25年を経て、なぜ就職希望の学生が1万7000人も押し寄せるような企業へ劇的に変わり、「カンブリア宮殿」に取り上げられるまでになったのか。

この問いかけに対する答えこそが、「幸せ」を経営指針とした「Being経営」の実践だったのです。

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