佐々木俊尚 ヴァーチャルの進化が企業にもたらす変革とは

「VR」は我々の仕事や生活にどんな影響を与えうるのか。テクノロジーについて豊富な知見を持つ作家・ジャーナリストの佐々木俊尚氏にうかがった。
ホーム » PHPマネジメント衆知 » マネジメントスキル » プロ野球界のさらなる繁栄のために~白井一幸・プロ野球コーチ
2018年04月24日 公開
各球団の経営努力でプロ野球人気は全国各地に一気に広まった。次にやるべきは球界が一つになって、様々な改革に取り組むことである。
現在の各球団による企業努力は本当に素晴らしいですし、関係者の一人として頭が下がる思いです。ただし、今後のことを考えると、各球団の努力に加えて、球界全体が一つの企業として利益を出していくことを考えないと、長期的な繁栄は期待できないように思います。
そこで日本のプロ野球が参考にすべきなのが、アメリカのMLBです。古くからMLBでは、全米で放送される試合のテレビ放映権についてはMLB機構が一括してテレビ局と契約を結び、その収益を全球団に均等に分配していました。
それが1980年代半ばになると、フリーエージェント制度の影響によって選手の年俸が高騰し、各球団の経営を圧迫していると言われるようになりました。そんな時期にコミッショナーに就任したのが、実業家のピーター・ユベロス氏です。ユベロス氏は、就任直前の1984(昭和59)年夏に開催されたロサンゼルス五輪を大会組織委員長として大成功に導きました。史上初の「民間五輪」として多額の収益を生み出したのです。ただ、その成功は莫大な放映権料やスポンサー契約料に支えられたもので、現在の商業五輪への流れをつくったとして、同氏を批判する向きもあります。
それでも、ユベロス氏はMLBコミッショナー就任後、テレビ放映権を大幅に引き上げるなどして収益を増やし、それを分配することで赤字経営のチームを減らしたと言われています。その後もMLBでは、各球団の収入に対して課税し、その課税金を収入の少ないチームに厚めに配分するなど、戦力が均衡するような仕組みを導入してきました。こうした施策は、まさに経営者の発想から生まれたものです。ところが日本野球機構(NPB)のコミッショナーは法曹界出身の方が多く、元経営者という方は一人もいません。私は、日本でも、これからのコミッショナーにはCEO経験者こそふさわしいと考えます。
日本では、テレビ放映権は各球団とテレビ局が個別に契約を結んでいますが、ご存じのように近年は地上波放送が激減しています。それはジャイアンツも例外ではありません。人気の面でも、昔のようにジャイアンツだけが突出しているわけではなく、各球団がファンを増やしています。2016年のファイターズ対カープという、地方球団同士の日本シリーズも大きな注目を集め、高視聴率を記録しました。ですから日本でも、各球団が個別にまちまちの金額でテレビ局と契約するのではなく、オールスターゲームやクライマックスシリーズ、日本シリーズを含め、NPBが一括して大型契約を結び、その収益を各球団に配分する。そういうCEO的な発想による運営が必要不可欠だと思います。
次のページ
球界の発展に不可欠な引退後の選手を支える仕組み >
「VR」は我々の仕事や生活にどんな影響を与えうるのか。テクノロジーについて豊富な知見を持つ作家・ジャーナリストの佐々木俊尚氏にうかがった。
ヴァーチャルないしデジタルは、ウィズコロナの社会に欠かせないものとなっています。その発展はますます、ビジネスの可能性を広げることでしょう。
2020年はまさに「コロナ」に振り回された年だった。多くの企業が危機に陥り、厳しい状況は今も続いている。だが、経営コンサルタントとして数多くの企業を指導している小宮一慶氏によれば、この厳しい状況を飛躍のバネとしている企業も多いという。
「仲がいい企業と協力した」ことを示すコラボは、ブランドの新たな価値になる
商人には好況不況はない、何(いず)れにしても儲けねばならぬ。松下幸之助はに危機をいかにして克服してきたのか。
「VR」は我々の仕事や生活にどんな影響を与えうるのか。テクノロジーについて豊富な知見を持つ作家・ジャーナリストの佐々木俊尚氏にうかがった。
ヴァーチャルないしデジタルは、ウィズコロナの社会に欠かせないものとなっています。その発展はますます、ビジネスの可能性を広げることでしょう。
2020年はまさに「コロナ」に振り回された年だった。多くの企業が危機に陥り、厳しい状況は今も続いている。だが、経営コンサルタントとして数多くの企業を指導している小宮一慶氏によれば、この厳しい状況を飛躍のバネとしている企業も多いという。
「仲がいい企業と協力した」ことを示すコラボは、ブランドの新たな価値になる
商人には好況不況はない、何(いず)れにしても儲けねばならぬ。松下幸之助はに危機をいかにして克服してきたのか。