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私の苦闘時代~池森賢二・ファンケル創業者

2019年06月04日 公開

人間はお金がないと知恵が出る

企業存続のために知っておいてほしいこといま思い返してみると、人間はお金がないと知恵が出るものだということをあらためて考えさせられました。

東京都北区田端で1日100軒の個人宅の訪問をしていたころ、ほとんどの家庭から門前払いを受けたことから、何とか門を開けて話を聞いてもらいたいと思い、翌日訪問をする予定のお宅100軒ごとに、化粧品公害の実態をおおまかに取り上げたコピー、および洗顔後の感触の良い洗顔クリームを使ってみてほしいと、小分けにした洗顔クリームを郵便受けに入れておいて、翌日お伺いしたのです。

これが効果を発揮して、その後は数倍のお客様に話を聞いていただけるようになりました。

当時の間違ったお手入れで汚れがたまっている皮膚の凹部と毛穴の洗浄を、どのように解決したか。初めは家庭で使っている「たわし」で洗顔することをすすめていました。「たわし健康法」が流行っていたこともあり、それほど抵抗なく受け入れてくださったのですが、自分自身がたわしで顔を洗うと痛いので、何か良いものがないかと探し回り、「狸の尻尾から作られた歯ブラシ」を発見して、これで洗ってもらうことにしました。それからしばらくして「洗顔パフ」を開発することができました。

本格的な『素肌美ニュース』のチラシが完成し、横浜で私自身がチラシを配布して個人で事業を始めたころ、私の手元には30万円足らずのお金しかありませんでした。

簡易印刷で1枚2円のチラシを2万枚印刷してもらい、その都度4万円を現金で支払っていたことを思い出します。事業に失敗して借金の返済で大変な苦労をした私は、新しい事業では無借金経営を生涯続けることを天に誓ったのです。

チラシを配布して、ご注文いただいた化粧品を配達し、その場で美容相談にも応じるという毎日でしたが、とても体がもたないことから、チラシは新聞の折り込みで配布することにしました。ライトバンにチラシを積み、地域を選んで新聞の専売店を回り、印刷費同様現金で支払っていたころを思い出します。

注文いただいた化粧品の配達も、1日20軒が精いっぱいで、神奈川県下なら翌日配達ができるという「日商急便」という会社に依頼をするようになりました。わが社の男性1号社員、黛さんとの出会いもこれが縁でした。

私がお客様に直接話すことができなくなったことから、美容相談員を養成して積極的に美容相談に力を入れました。皮膚トラブルを抱えたお客様が多かったことから、この部門に徹底的に力を入れ、化粧品をお客様に届けた後、お肌の状態がどうなっているか心配で、お伺い状を1週間後に必ず送って、お肌の状態を聞いていました。またお客様一人ひとりのカルテもつくりました。

肌が極端に弱い方に、オイル洗顔の方法を考え出したのも私でした。このような対応が評判を呼び、誠意のある会社だと評価されました。今の時代なら当たり前のことですが、当時の化粧品会社はそこまで責任を負っていなかったともいえます。

このころは、化粧品のサンプルをつくる費用がなかったため、心配な方は本商品を「テスト使用」してからお買い上げいただきたいとすすめていました。しかし理論に納得してお買い上げいただいていたため、テスト使用を希望するお客様は極端に少なく、テスト使用から始められたお客様も99%以上の方にお買い上げいただきました。

ここで割引券の知恵の話をします。当時化粧品のセットを1万2000円で販売していました。そこで500円につき20円の割引券を差し上げていました。そして割引券が500円たまったら利用できることにしたのです。

すると最初の1回目の購入で24枚たまります。あと1枚ためると利用できるため、もう1回買おうという気持ちになります。2回目を購入するとたまります。そこで3回目に500円の割引券を注文書と一緒に封筒に入れて、お客様に切手を貼って送ってもらって、初めて500円の割引になります。お客様は3回購入をすると、引き続いてお客様になっていただく確率が高くなるのです。
 

売るためのさまざまなアイデア

転送電話の話をします。転送電話とは一つの地区に電話を2台置きます。1本はかけてくる電話、もう1本はこの電話を横浜本社に転送するために使います。したがって、札幌に住んでいる人は札幌に電話をかけますが、この電話が転送されて横浜にかかってくるというわけです。この電話が地域に増えるたびに、この電話番号を封筒に印刷して増やしていきました。そして、この電話の多さをデザインとして取り入れたため、お客様には全国に営業所を持つ、大企業と思ってもらうことができたのです。

会社を大きく見せるための工夫として、創業当初はラジオやテレビのプレゼント番組を活用しました。ラジオでは「ファンケル」という社名が分かりにくくて、「ヘンケル」や「アンケル」という名前でよく投書されました。当時は、テレビやラジオで紹介されましたと書くことによって、ファンケルは信用できる会社だと思ってもらえたのです。そのころはプレゼント応募の「はがき」を局からいただくことができたので、ご注文いただけそうな内容の手紙にはダイレクトメールを送らせていただき、大きな成績を上げることができました。私の部屋に、この応募はがきがたくさん入った段ボールが、たくさん積まれていたことを覚えている社員もいるのではないでしょうか。

おすそ分けから生まれたアイデアを紹介します。Aタイプの次に商品化されたBタイプは、小さな容器に小分けしてあるために、お客様が知人友人にご自分の化粧品をおすそ分けをして、紹介してくださることが多かったのです。それでは申し訳ないと考えて、紹介してくださったら、その方にファンケルからお贈りさせていただくことにして「ファンシーセット」という見本セットをつくって贈りました。これによってお客様になってくださった方の残存率が極めて高いことから、FM商法(ファンケルミサイル商法)として積極的に全国に展開しました。紹介をしてくれたお客様を「し者」、されるお客様を「され者」と言っていましたが、最近までこの言葉は残っていたようです。

私の考えから生まれた商品を紹介します。その一つにパックがあります。この商品は浸透圧から考えたものです。生鮮野菜に塩を振ると、浸透圧から中の水分が表に出てきてお漬物になります。人間の皮膚も、血液よりやや濃い塩分を含んだ化粧品の成分を皮膚の表面につけると、皮膚中の潤い成分が皮膚表面に出てきて肌が潤うのではないかと考えたのです。この理論をそのままセールスポイントに使って、この商品の販売に大成功したことを覚えています。

メークを最初に販売したのは粉おしろい(フェイスパウダー)でした。あまり売れずに在庫を抱えてしまいました。小さな会社でしたので、資金繰りにも少し困りました。あるとき、工場に行ってそばにあった顕微鏡でこの粉をのぞいてみました。このパウダーはタルクという石の微粉でできていると聞いていましたが、粒子の表面に凹凸があることを知り、このパウダーは日光を散乱させるため、日焼け止めの効果があると宣伝したのです。おかげですぐに売り切ることに成功しました。後日、大手化粧品メーカーが日光を散乱すると謳っていたので、ほっとしたことを覚えています。

最初の口紅販売の思い出を一つ。口紅は早くからお客様に要望をいただいていました。当時は、人工色素を使っていない口紅などなかったのです。退色するのが早いので長く保存することができないという条件つきでしたが、なんとか天然色素を使った口紅を5色そろえることができました。しかし5色では、あまりにも選ぶ色が少なく寂しい、ということから私が考え出した案は、緑色と黒色を追加することでした。「枯れ木も山のにぎわい」という諺がありますが、これで少しは格好がつき、販売に踏み切りました。

緑と黒の色の口紅はほとんど売れなかったと記憶していますが、他の色は売ることに成功しました。

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著者紹介

池森賢二(いけもりけんじ)

1937年6月1日、三重県伊勢市生まれ。59年4月、小田原瓦斯株式会社入社。73年に同社を退社し、仲間数人とコンビニエンスの経営を始めるが失敗。そのときに抱えた負債を2年半で完済する。その後、当時社会問題となっていた化粧品による皮膚トラブルに着目し、80年4月、無添加化粧品事業を個人創業、81年8月、ジャパンファインケミカル販売株式会社(現在の株式会社ファンケル)を設立、代表取締役社長に就任。99年12月、東京証券取引所第一部に上場。自ら定年制をしいて2003年に会長、05年名誉会長に就任。13年1月に経営再建のため執行役員として復帰し、同年6月、代表取締役会長執行役員に就任、現在に至る。高齢社会を迎えた日本の医療費削減と「健康寿命」を延ばすための予防医療の必要性を掲げ、13年、私費を投じ東京・銀座に医療法人財団健康院「健康院クリニック」を開院。公益社団法人日本通信販売協会副会長、同協会第7代会長、社会福祉法人訪問の家後援会第2代会長を歴任し、現在、一般社団法人高機能玄米協会会長を務める。著書に、『ファンケルあくなき挑戦』(神奈川新聞社)、『社長から社員への手紙』(飛鳥新社)、『優しさと感動のこだま』(講談社)、『物事は単純に考えよう』(PHP研究所)などがある。

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