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松下村塾と入江兄弟 ・2015年4月13日

2015年04月13日 公開
2023年03月31日 更新

『歴史街道』編集部

こんにちは。今日は平成27年(2015)4月13日(月)です。このところ寒暖の差が大きいですね。

さて、昨晩の大河ドラマ「花燃ゆ」は、再び野山獄に入れられた松陰の、世の中を動かすための指示に対し、弟子たちが従うべきか逡巡する姿、そして松陰自身が自分の非力を痛感して苦しむ姿が描かれました。

そうした中で松陰に従って動くのが、松下村塾四天王の一人・入江九一〈いりえくいち〉と、その弟・野村靖〈のむらやすし〉です。ドラマでは入江を要潤さん、野村を大野拓朗さんが演じています。本日はこの兄弟を中心にご紹介してみます。

九一は天保8年(1837)、靖は天保13年(1842)、地方組中間〈ちゅうげん〉・嘉伝次の子として萩に生まれました。九一は杉蔵とも称し、靖は和作とも称します。

また兄弟の妹・すみ(寿美子)は、後に伊藤博文の最初の妻となる女性。ドラマでは宮崎香蓮さんが演じており、昨晩も登場していました。

実の兄弟でありながら姓が異なる理由は、靖が記した『追懐録』によると、本来は野村姓であったところ、両親の代に事情あって入江姓を継いだため、兄の九一が入江姓を継ぎ、靖は本来の野村姓を名乗ったとあります。

安政3年(1856)、兄弟の父・嘉伝次が急死。20歳の九一は家計を支えるため、江戸藩邸で事務の下役を務めることになりました。

翌安政4年(1857)、16歳の靖が松下村塾に顔を出し、冬には門下生として通うようになります。

同年9月頃、吉田稔麿から九一の人物を聞き、松陰が九一を村塾に勧誘したことがあったようですが、江戸と萩を往復する九一は暇がなく、初めて九一が松陰の許を訪ねたのは、翌年の安政5年(1858)の7月、使いで萩に滞在した際の短い時間でした。

しかし松陰と九一は意気投合し、松陰は、すぐに江戸に向かうという九一に送辞として、「吾れの甚だ杉蔵(九一)に貴ぶ所のものは、その憂いの切なる、策の要なる、吾れの及ばざるものあればなり…」という一文を贈っています。

藩邸の下役に過ぎない身分の自分を、松陰はこれほどまでに評価してくれる…。この時の感激が、九一のその後を決めたのかもしれません。同年11月、萩に戻った九一は、22歳で松陰に正式に入門しました。四天王の中で最年長であり、最も遅い入門です。

一方、弟の靖について松陰は、「和作(靖)と申すもの、杉蔵の弟にして才気があり、頗(すこぶ)る読書を好み候」「小(ママ)年中の傑出」と評しています。将来に期待が持てる少年という意味でしょう。

しかし、九一が入門した安政5年は激動の年でした。6月に幕府が勅許を得ずに通商条約を結んだことを松陰は憤り、上洛する老中間部詮勝の要撃を企てます。ところが計画は藩当局に洩れ、12月、松陰は野山獄に投獄。結局、九一が松陰に学んだのは僅か1ヵ月でした。

松陰を投獄したことを藩に抗議したかどで、九一や吉田稔麿は自宅謹慎となります。松陰は獄中からも弟子たちに対しさまざまな指示を出し、多くの弟子が時期尚早と松陰を諌めますが、九一と靖兄弟のみはあくまで松陰に従い、行動しました。

九一が謹慎中であるため、弟の靖が松陰の密命を帯びて京に向かい、公卿・大原重徳を萩に招聘しようと試みます。が、藩に発覚。靖は連れ戻されて兄と同じく謹慎となりました。

しかし母は、兄弟にこう言います。「お前たちは国法を犯したのだから、罰せられるのは当然です。しかし、それは国を思い、お殿様に忠義を尽くさんがため。それならばどんな重罪に処されようと、ひるまず信じる道を行きなさい。それが母の望むところです」。

母の言葉に奮起した兄弟は、謹慎が解けると、松陰の次の密命を受けて動きます。それは参勤交代で江戸に向かう藩主・毛利敬親の行列を、伏見で大原重徳が待ち受け、大原に大義を説いてもらおうという「伏見要駕策」でした。

しかし、これも藩に察知され、兄弟は岩倉獄に投獄。兄弟は貧しい上に収入のあてがなくなった母と妹のために、獄中で写本をしていくらかの生活費を送ったといいます。

そんな兄弟に松陰は野山獄から、「あなたたちが大原要駕策に動いてくれたおかげで、事は成らずとも、長州に忠義の心があることは天下に知れ渡った。感謝に堪えません」と礼状を送りました。

松陰の江戸送還を、兄弟は獄中で知ります。二人ともこれが永別になることを察し、靖は松陰に手紙を送りました。「嗚呼、先生の顔また拝するべからず、先生の声また聞き得べからず。(中略)愚生といえども必ず読書勉励し、必ず王事に死せん」。

兄弟が牢を出たのは、松陰が処刑され、さらに井伊大老が桜田門外で討たれた翌月の万延元年(1860)閏3月のこと。以後、二人は士分に取り立てられて、村塾の同志らと活躍。九一が禁門の変で倒れた後も、靖が遺志を引き継いで維新を目指すことになります(辰)
写真は野村靖(国立国会図書館蔵)

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