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日本海海戦…日露両艦隊の「総合戦闘力」を比較すると

2015年06月03日 公開
2022年06月28日 更新

三野正洋(元日本大学非常勤講師)

 日本海海戦

 

実際の、連合艦隊とバルチック艦隊の実力は?

 これまで多くの類書が、明治日本海軍・連合艦隊(司令長官/東郷平八郎大将)と、ロシア海軍・バルチック艦隊(艦隊司令長官/A・ロジェストウェンスキー中将)の日本海海戦について、詳細に述べている。ここでは両艦隊の「総合戦闘力」を比較してみよう。

 ただし、それぞれの艦種の能力、兵器の性能に限らず、もう少し広範囲の事柄に言及したい。なお、記述の順序は重要度を示しているわけではなく、順不同となっている。

 これらの結果からは、日本側の勝利、ロシア側の惨敗はしごく当然であったことがわかろう。しかしこれは、多くの史(資)料、情報が簡単に入手可能な〝現在〟という時点でのことであり、〝当時〟という歴史の中ではやはり大日本帝国の存亡を賭した戦いと見るべきである。

 

それぞれの艦種の概要

 日本海海戦の参加艦艇の数は、すべてを含めると日本側99隻、ロシア側39隻となっている。もっとも駆逐艦、水雷艇といった小艇を除き、巡洋艦以上の艦種を数えると24隻対18隻となる。

 さらに大口径を持つ戦艦とそれに近い装甲巡洋艦に絞ると互いに12隻だ。ロシア海軍のバルチック艦隊が惨敗を喫し、自身の記録としても〝壊滅〟という言葉を用いているのは、こうした背景を無視はできない。

 

艦艇の整備状況

 戦闘の開始にあたって、軍艦が最良の状態に整備されていることは言うまでもなく必須である。この、専門用語でいわゆる〝重整備〟と言われる作業を海上で実施するのは不可能に近い。

 兵器はもちろん、もっとも重要なのは艦底の掃除である。これを怠れば、すぐに貝や藻がびっしりと付着してしまい、速力は2、3割低下する。東航を続け、永く海上にあったバルチック艦隊では時折潜水士を潜らせて除去していたのだろうが、完璧に終わらせることは出来なかったはずである。

 一方、日本艦隊は100km以内に重整備の可能な佐世保、50km以内に軽整備のプサン(釜山)港を有していたから、すべての艦艇の状況は最高の水準といえた。この違いは数値には表われないものの、互いの戦闘力に大きく影響を与えたことは間違いない。
 

 さらに各種の整備について、ロシア側は最初からこれらを軽視していた。というのも、40隻近い大艦隊を、1万キロの彼方に送り出すのに随伴する工作艦は唯一隻だったのだ。これではとうてい、兵器、戦闘、整備の故障に対応出来るはずはなかった。
 

乗員の訓練の習熟度

 ロシア艦隊は遠征途上でたびたび砲撃訓練を行なっている。しかし、これはそれぞれの軍艦がひとつの標的を狙って発砲するだけのものであった。艦隊が戦闘隊形を組んで実戦に即した機動を実施、それと同時に一斉砲撃(斉撃という)を行なうという訓練をした記録は、皆無である。

 本来なら、艦隊をふたつに分け、赤軍、青軍といった対抗演習を繰り返すべきである。これが一度として実行されなかったので、乗組員の練度は一向に上達しない。

 別な見方をすれば、大艦隊をつつがなく極東に進めることだけが、上層部の目的であり、日本艦隊を撃滅する意欲に欠けていたのだ。これがすべての将兵に伝わってしまい、練度の向上につながらなかった。

 他方、日本艦隊はこの年の2月から4カ月にわたり、猛訓練に終止した。個艦の訓練は当然だが、戦艦、装甲巡洋艦、巡洋艦はもちろん、駆逐艦、水雷艇に至るまでが大艦攻撃に取り組んでいる。

 さらに、これによっていかに疲労が溜まろうと、すぐ近くに母港が存在し、訓練が終われば休養、回復の場が用意されていた。

 数カ月にわたり艦内から一歩も離れることが出来ないロシア軍将兵と、日本側の乗組員とでは、その環境に天地ほどの差があったのである。このような事実も、乗組員の士気に直結したのであった。
 

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