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山岡鉄舟~江戸無血開城に導いた剣士の生涯と逸話



2015年07月21日 公開

歴史街道編集部

山岡鉄舟
 

今日は何の日
明治21年7月19日 山岡鉄舟(鉄太郎)が没

明治21年(1888)7月19日、山岡鉄舟が没しました。勝海舟、高橋泥舟と並ぶ「幕末の三舟」として知られ、明治後、一刀正伝無刀流を開いた剣豪としても知られます。

そして彼の名を幕末史に留めたのは、江戸無血開城の直前、勝海舟の代理として静岡に赴き、事前に西郷吉之助と面会して、西郷に強烈な印象を与えた一件でした。

鉄舟山岡鉄太郎という人物の一端を、西郷との会見と、生涯追求した剣から探ってみます。
 

幕末三舟のひとり・山岡鉄舟

勝海舟との出会い

「三月五日。旗本山岡鉄太郎に逢う。一見その人となりに感ず。同人申す旨あり、益満生(薩摩藩士・益満休之助〈ますみつきゅうのすけ〉)を同伴して駿府へ行き、参謀西郷氏へ談ぜんと云う。われ是を良しとし、言上を経てその事を執らせしむ。西郷氏へ一書を奇す」

これは『海舟日記』に勝海舟自身が記した、山岡鉄太郎との対面の様子です。勝の口ぶりからは初対面ともとれますが、かつて尊攘派の清河八郎らと同志であった鉄太郎を勝は快く思っておらず、きちんと向き合って話をしたのが、この時が初めてだったのかもしれません。

そして勝は鉄太郎の様子に何事かを感じ、江戸無血開城に向けて最も困難かつ重要な役割である、西郷吉之助との事前交渉を、鉄太郎に託しました。

すでに旧幕府軍が鳥羽伏見で新政府軍に敗れ、前将軍徳川慶喜が蟄居謹慎している慶応4年(1868)3月のことです。

この時、鉄太郎は刀を友人から借りねばならないほど困窮していましたが、義兄・高橋泥舟の推挙もあって、勝海舟から大役を任されたのです。
 

山岡鉄太郎と剣の師・浅利義明

天保7年(1836)に江戸本所で旗本小野家に生まれた鉄太郎は、槍術家・山岡家の婿養子となり、山岡姓を名乗ります。北辰一刀流を学び、技量抜群であることから幕府講武所世話役となりますが、尊王攘夷を唱える清河八郎と親しくなり、清河が幕府の手で暗殺されると、鉄太郎も謹慎に処せられました。

慶応4年、将軍の親衛隊ともいうべき精鋭隊歩兵頭格に任ぜられ、西郷との交渉に赴く鉄太郎は33歳。すでに剣の力量は知らぬ者はないほどでしたが、意外にもこの頃、鉄太郎は剣士として壁にぶつかっています。実は師匠に手も足も出なかったのです。

師匠とは中西派一刀流の浅利又七郎義明。中西派4代子正〈たねまさ〉の子で、浅利家に養子に入っていました。

試合で浅利に敗れて弟子入りした鉄太郎でしたが、その後も浅利と道場で向き合うと、何の手出しもできずにじりじりと壁ぎわまで追い詰められ、最後にはそのまま道場の外まで後退して、ガラリと扉を閉められてしまうのが常でした。

腕に覚えのある鉄太郎だけに、これは屈辱であったでしょうが、力量の差は歴然。忍心流槍術の達人である義兄・高橋泥舟の勧めで参禅し、何とか剣の道を究めたいと模索している最中に、鉄太郎は西郷との面会に出向くことになるのです。

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西郷吉之助と面会、江戸無血開城へ >



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