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関ケ原には、歴史の醍醐味がぎっしりと詰まっている

2015年10月28日 公開

高橋英樹(俳優)

TVドラマ「影武者家康」(1998年)で徳川家康を演じた筆者

 

関ケ原の地で感じたこと

 私は城や史跡を巡ることが大好きで、岐阜県関ケ原にも足を運んだことがあります。今では家も建ち並び、ここで「天下分け目の合戦」が行なわれたとは、すぐに気付くことはできません。

 東海道新幹線を使用される方ならば、「よく雪が降る場所」として記憶している方も多いことでしょう。

 それでも現地に立つと、「この地で、総勢十数万の東西両軍が激突したのか」と思わず想像を巡らせてしまいます。この「想像」こそが、歴史の一番の愉しみではないでしょうか。

 関ケ原合戦でいえば、諸将はどんな思いで決戦に臨んだのか。島左近や大谷吉継の首級は、なぜ発見されなかったか…。さらにいえば、私は隆慶一郎先生が小説『影武者徳川家康』で描かれたように「家康は実は西軍に暗殺されていた」という話もありえると思っています。

 事実と今に伝わる歴史が100%「イコール」とは限らず、その差異に思いを巡らせ始めるとキリがない点こそ、歴史の醍醐味でしょう。

 関ケ原合戦は、一言で言えば石田三成の「失敗作」だと捉えています。合戦とは必ず、「これがあと1日違えば」「あの時こうだったら」ということがついてまわるもので、雨や霧などの自然現象も含めて、一つの掛け違いが勝敗を左右します。

 関ケ原でも、三成には勝つチャンスが幾つかあったにもかかわらず、ことごとく潰してしまった。事実、東軍は徳川秀忠軍3万8,000が参戦できず、さらに西軍は有利な場所に陣地を置いたと指摘されており、私も現地を歩いてそう感じました。

 

東軍は、なぜ勝てたのか 

それでは、なぜ東軍が勝利を収めることができたのか。一つは、大将の差でしょう。

 西軍の石田三成は、間違いなく優れた人物でした。しかし、それはやはり頭を使う官僚的な才能だったのでしょう。

 朝鮮出兵の際には本国で算盤を弾いており、前線で体を張る武将から「なんだよ、あいつ」と思われてしまったのも、人情の機微を察する力が欠けていた証です。

 西軍内でも本当に信用を得られていたかは怪しく、加えて実際のトップはあくまで毛利輝元だったこともあり、「三成に命を託す」という人物は少なかったのではないでしょうか。

 その点、東軍の家康は、信頼を寄せるに足る男でした。

 私も『寧々~おんな太閤記』(2009年、テレビ東京)で家康を演じた経験がありますが、「俺が、俺が」と動きまわるのではなく、常にどっしりと構えて喜怒哀楽を面に出さず、下手な動きをしない――そんな人物像で描かれました。

 家康のような上司がいれば部下は信頼を寄せるとともに、自ずと動かざるをえません。関ケ原でも黒田長政や福島正則が東軍の結束に活躍しましたが、家康の存在が彼らを動かしたのでしょう。

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