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占守島(しゅむしゅとう)の真実―「歴史街道」2015年12月号

2015年11月06日 公開
2023年03月09日 更新

『歴史街道』編集部

 

 11月6日(金)に発売いたしました弊誌12月号総力特集「占守島(しゅむしゅとう)の真実」につきまして、担当編集者より、簡単に内容のご紹介をさせていただきます。

 

 

 太平洋戦争が終結した日といえば、いつを思い浮かべるでしょうか。多くの方は、「昭和20年(1945)8月15日」とお答えになることでしょう。私もやはり、真っ先には、この日を思い浮かべます。

 しかし、実はこの「終戦の日」の2日後、始まった戦いがありました。それが、日本軍とソ連軍の「占守島の戦い」です。

 

 占守島。その名前を初めて耳にした方も、いらっしゃるかもしれません。択捉島、色丹島、歯舞群島、国後島の「北方四島」が属する北千島列島の北東端の島です。現在はロシアが実効支配をしていますが、終戦時は紛れもない日本領であり、北方の守備のために日本軍が配備されていました。

 当時、日本とソ連は中立条約を締結しており、両国は互いの領土への「不可侵」を約束していました。しかし、ソ連軍は8月17日、約定を破り、突如として占守島に攻め込んできたのです。

 混乱に乗じて、日本の北方の領土を奪い取る。それがソ連の思惑であり、事実、スターリンは北海道まで狙っていたと史料に残ります。日本本土がソ連軍に侵攻され、奪い取られる危機…。そんな時、起ち上がったのが占守島に残っていた日本兵でした。

 

 彼らは8月15日の玉音放送後、「これで故郷に帰れる」「久しぶりに、家族の顔を見ることが出来る」と笑いあい、酒を酌み交わしていたといいます。しかし、そんな想いを胸にしまい、日本を守るため、ソ連軍の侵略を食い止めようと武器を手に取るのです…。

 もしも、占守島の戦いがなければ、日本の国土は現在のものと違っていたかもしれません。以前、北海道ご出身の歴史学者・山内昌之先生に伺いましたが、戦後の北海道では「私たちは、もしかしたら離れ離れになっていたかもしれない」と語られていたといいます。

 

 占守島の戦いとは、それだけ重要な戦いでした。しかし、それにもかかわらず、あまりにも知られていない。だからこそ今回、総力特集で描こうと思い至りました。

 

 特集内では、ユダヤ人を救ったことでも知られ、当時の北方の日本軍を指揮した樋口季一郎や、占守島の戦いで中心となった「士魂部隊」戦車第11連隊(池田末男連隊長)をはじめとした、ソ連に立ち向かった人々の姿を描いています。

 また、意外と知られていない「北方四島」を始めとした日本北方の歴史や、占守島の戦いと並行して行われた樺太の戦いで起こった「秘話」も紹介しています。

 そして、当時、実際に占守島でソ連軍と戦われた、白崎勇次郎氏、岩瀬しげし氏(お名前の漢字は、禾篇に次)の特別インタビュー、そして命懸けでソ連軍との停戦の軍使を務められた長島厚氏(昨夏、ご逝去)のお話を掲載しております。

 白崎様、岩瀬様は、当時のお話を伺っていると、時おり、涙で声をつまらせながらも、「これだけは語っていきたいのです」と色々なお話をお聞かせ下さりました。

 

 沖縄などの話と違い、占守島の戦いは学校の授業で教えられることもありません。しかし、この戦いを知れば知るほど、先の大戦で戦場に立たれた方々こそが、今の日本の礎であることが改めて分かります。

 歴史街道12月号総力特集「占守島の真実」、ぜひ、ご一読くださいませ。(水)

 

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