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日本にインゲン豆と木魚を伝えた隠元さん

2015年12月01日 公開

歴史街道編集部

日本の仏教には様々な宗派がありますが、禅宗は「臨済宗」「曹洞宗」、そして「黄檗宗」の三宗に分類されています。

「臨済宗」と「曹洞宗」は比較的身近に触れることが多いですが、「黄檗宗」はなかなか接することが少ないのではないでしょうか。

黄檗宗は、開祖である唐の僧・黄檗希運の名前に由来しています。黄檗希運は臨済宗を開いた臨済義玄の師でもあります。

日本では、江戸時代初期に中国から招聘された中国臨済宗の隠元隆琦〈いんげんりゅうき〉が、京都の宇治に黄檗宗の本山・萬福寺〈まんぷくじ〉を創建したことにより広まります。

江戸幕府に保護されたこともあり(萬福寺には葵の紋をあしらった燈籠があります)、大名たちの支援を得て次第に教勢を拡大していきます。仙台の伊達家、長州の毛利家、鳥取の池田家の菩提寺も黄檗宗です。

このように禅宗として日本に定着していった黄檗宗ですが、隠元の名前を聞いて、思い浮かべる野菜がありませんか?

そうです。日本にインゲン豆を伝えたのも隠元隆琦でした。その他にも、現在の私たちが日常的に飲む煎茶や、西瓜、蓮根、孟宗竹(たけのこ)なども隠元が日本に伝えたとされます。

そして、もう一つ。読経などでお坊さんが叩く「木魚〈もくぎょ〉」を伝えたのも隠元とされます。と言っても、現在の木魚そのものではなく、木魚の原型となっている「魚板〈ぎょばん〉」(魚梛〈かいぱん〉、魚鼓〈ぎょこ〉とも)を伝えました。

これは今でも黄檗宗の寺院などで見ることができる、その名の通り魚の形をした板状のもので、主に僧侶たちに食事の時刻などを知らせるために叩いて鳴らされたものです。これが、読経の際に手元で叩くために、現在の中身をくり抜いた丸い形になったそうです。

では、木魚の元となった魚板は、なぜ魚をモチーフにしているのでしょうか。実は、魚は眠っている時も目を閉じないことから、「昼夜目を開けて過ごす魚のように、怠けずに修行に励みなさい」と、修行僧が自戒のための手本としたからとされています。

また、写真を見ていただくとわかるように、魚は玉を口に咥えています。この玉は「煩悩の珠」と呼ばれ、魚板を叩くことで煩悩を吐き出させるという意味もあったと言われています。

木魚そのものは日本でも室町時代から存在していたそうですが、隠元が伝えた魚板が元になって現在の形となって広まったということですね。そして、お経に合わせて木魚を叩くことには、黄檗宗のお経の特徴が理由としてあります。

黄檗宗のお経には「梵唄〈ぼんばい〉」と呼ばれる歌のようなお経があります。4拍子を基本とするリズムを刻みながら、節をつけてお経を詠んでいく音楽的なものです。黄檗宗の法要では、鐘や太鼓などの鳴物や木魚を合わせて、音楽を演奏するように読経が行なわれます。

黄檗宗のお経は中国で行なわれていたものを忠実に継承していて、唐音とよばれる中国語を基本とする読みをします。般若心経でいうと「まかはんにゃはらみたしんぎょう…」と唱えるところが「ポゼポロミトシンキン…」という具合になります。

私は実際に耳にしたことはありませんが、唐音と鳴物で読まれる読経の様子をテレビで見た時は、これまでのお経のイメージが変わるくらいの印象を持ちました。

萬福寺の境内は、建物や造作にも中国様式が多く見られ、まるで中国のお寺に迷い込んでしまったような錯覚を覚えるほどです。ぜひとも、その独特な雰囲気を味わいに一度訪ねてみてください。

さて、最後に一つだけ付け足しを。先日、あるテレビ番組で、木魚を叩く理由について、「お坊さんの眠気覚ましのため」と紹介されていました。

厳しい修行に明け暮れるお坊さんが、ついウトウトと…その眠気を払うために、木魚を叩いたという説もあるそうです。少しおかしさと親しみが感じられて、私はこの説が好きです。(立)



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