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滝川一益の脱出と真田の人質

2016年02月21日 公開
2023年03月09日 更新

『歴史街道』編集部

 

滝川の脱出を助けた真田と依田

神流〈かんな〉川の合戦で北条に敗れた滝川一益は、箕輪城に帰還して敗軍をとりまとめると、天正10年(1582)6月20日に城を出立、信濃に向かいます。この時、滝川は上野国衆から預かっていた人質を伴っていました。上野国衆の襲撃を防ぐためです。

ドラマでは真田昌幸は合戦に参加せず、その隙に沼田、岩櫃を奪還することになっていましたが、城には滝川勢が詰めていたはずですから、なかなかそうはいかないでしょう。史実では二城とも平和裏に昌幸に返還されており、昌幸が滝川を騙してもいません。昌幸のキャラクターを際立たせるための演出でしょうね。

翌21日、滝川一行は碓氷〈うすい〉峠を越えて、小諸城に入ります。ここで滝川は、上野国衆の人質をすべて解放しました。上野を通過できたので、もはや必要がなくなったからです。清須会議に出席するため、先を急ぎたい一益でしたが、小諸城に5日間、留まらざるを得ませんでした。これから佐久・小県・諏訪・木曾を通過するにあたり、領主の了解を得る必要があったためです。

この時、滝川を助けたのが、武田の旧臣で徳川家康に匿われていた依田信蕃〈よだのぶしげ〉でした。信蕃は伊賀越え最中の家康より、甲斐の武田旧臣を急ぎ糾合するよう命じられ、甲斐に入って依田の「鐘の旗」を掲げると、武田旧臣約3000人が集まったといいます。

依田は事情を説明し、3000人を率いて小諸に戻り、本領の春日城に入りました。そこへちょうど滝川が小諸城に到着したのです。信蕃は滝川に味方し、佐久・小県から諸領主の人質を集めた上で、滝川を木曾へと送り出しました。

この人質の中には、依田の息子の康国をはじめ、真田昌幸の老母、次男の弁丸(信繁)も含まれていました。ドラマでは信繁が救出に来て失敗し、一緒に人質にされてしまいましたが、よく考えてみれば、信繁はこの時、まだ元服前の16歳です。人質救出は少々荷が重いでしょうね(笑)

いずれにせよ、真田昌幸は滝川一益の信濃脱出に協力しました。沼田、岩櫃を無償で滝川が返還してくれたことが大きかったでしょう。また依田信蕃は滝川より小諸城を引き渡され、佐久における最大勢力になったといわれます。依田はこの後、信濃に進出した北条への抵抗を続け、昌幸ともからむ人物ですので、ドラマに登場していないのは残念です。

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