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常に祭りの真ん中にいた、関白秀吉

2016年07月04日 公開

歴史街道編集部

 

「味よしのう~り~」

 

豊臣秀吉はとにかく祭りが好きでした。それも自分が先頭に立って企画し、ワイワイ騒ぐというプロモーター的な側面があったようです。

大河ドラマでは描かれませんでしたが、天正15年(1587)に北野天満宮で開いた「北野大茶会」もその一つでした。千利休の侘茶とは全く方向性の異なるものであったでしょうが、秀吉はこう呼びかけます。

「茶の湯に興味のある者は、誰でも参加してかまわぬ。釜ひとつ、水差しひとつ、湯呑みひとつ持ってまいれ。茶がなければ、麦こがしでもよい」

とにかく身分を問わないので、大勢で集まって、茶のイベントを楽しもうではないか、そんな秀吉の気分が伝わってきます。

また秀吉は、自分が所蔵する茶道具の名品の数々を人々に見せびらかして、「おおーっ、さすがは秀吉様」と感嘆させたいという思いもあったでしょう。「どうだ、すごいだろう」という台詞が大好きな秀吉であったことが窺えます。

小田原攻めの際の、あっという間に小田原城の目の前に一夜城を築き、さらに戦いの最中にもかかわらず、飲めや歌えの大騒ぎするのも、大好きなお祭り騒ぎと「どうだ、すごいだろう」が一緒になっているようにも感じます。

さて、本日のドラマで描かれた「瓜売り」は、朝鮮出兵の最中、文禄3年(1594)6月28日に、前進基地の名護屋城で秀吉が開いた「瓜畑の遊び」と呼ばれるものでした。

秀吉以下の大名が行商人などに扮し、売り声を上げて、その演技を皆で楽しむというものです。場所は城内で瓜などを作っていた畑で、ここに粗末な店やら、みすぼらしい旅籠などを建てて、いわば映画のセットのようなものを拵えて演じました。

秀吉はドラマの通り、瓜売りに扮しました。柿帷〈かきかたびら〉=柿渋染めのかたびらを着て、藁の腰蓑、黒い頭巾に菅笠〈すげがさ〉という扮装で、「味よしの瓜、召されそうらえ、召されそうらえ」と呼びかけます。

ドラマでは秀吉より昌幸の方がうまいという設定でしたが、実際は秀吉の瓜売りの姿があまりにも板についているので、「これは真似というものではなく、実際にかつてやっていたのではないか」と噂されたなどという話も伝わるほどです。

一方、徳川家康はあじか(籠やざる)売りで、「あじか、買はし、買はし」という呼びかけが、これもなかなかよかったのだとか。さらに前田利家は高野聖、蒲生氏郷は茶売りに扮し、秀吉に茶を売りつけて、どうしてもお代を頂きたいと秀吉に粘って、閉口させたという話も伝わっています。

なかなか思うようには進まない朝鮮出兵の重苦しい空気を、お祭りの笑いで紛らわせ、大名たちの気持ちを一つにまとめたいというねらいが秀吉にあったのでしょう。

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