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これぞ日本人の「矜持」と「底力」! 「歴史街道」1月号総力特集「出光佐三」

2016年12月05日 公開

歴史街道編集部

 

「士魂商才」と「人間第一」

敗戦後、GHQや戦勝国の管理下に置かれ、打ちひしがれていた日本人に、希望の光を灯したのが、昭和28年(1953)の「日章丸事件」でした。

出光興産の出光佐三が、世界の石油業界を牛耳るメジャーに単独で戦いを挑み、イギリス艦隊が展開するペルシャ湾に自前のタンカー日章丸を派遣して、イギリスの圧力に屈することなく、イランの石油を堂々と日本に持ち帰ってのけたのです。

世界を驚嘆させたこの壮挙に、多くの日本人が「自分たちだって、まだまだやれるぞ」と勇気づけられ、奮起しました。

佐三はこの日章丸事件について「出光がやったのではない、日本人がやったのだ」と語っています。日本人としての矜持を失わず、誰よりも日本人の底力を信じていたのが、出光佐三その人でした。

佐三は明治18年(1885)に生まれ、福岡県宗像〈むなかた〉市赤間で育ちました。父親は藍玉を商っており、佐三も幼い頃から商売にいそしむ父親の姿を見て、育ったでしょう。

そんな佐三が大きな影響を受けたのが、神戸高等商業学校で学んでいた時の校長・水島銕也でした。水島はこう教えます。「カネの価値を尊ぶのはもちろんだが、しかし、カネの奴隷になってはならない」。さらに、「あこぎな金儲けは唾棄〈だき〉すべきものであり、侍の魂を持って商才を発揮せよ」。佐三が終生大切にする「士魂商才」の覚悟でした。

もう一つ、佐三が学んだのが「人間第一」の考え方です。佐三が出光興産の前身である出光商会を興したのは25歳の時ですが、「最大の資産は人間である」と常々語り、「家族主義」を基本としました。後に敗戦で会社の存続すら危ぶまれる時にも、佐三は社員を家族として扱い、一人の馘首もしなかったのです。

出光商会を興した佐三は、これからは石油の時代になると睨み、関門海峡上の漁船に海上で軽油を売るというアイデアで商売を軌道に乗せました。当時、軽油の販売は地区ごとにテリトリーがありましたが、佐三は、海上はその限りでないと主張し、このため同業者たちから「海賊」と呼ばれたといいます。

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