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二度即位した女帝・斉明天皇と飛鳥の歩み

2017年02月08日 公開

吉村武彦(明治大学名誉教授)

 

当時の即位には適齢期があった

 

 飛鳥〈あすか〉時代前後から奈良時代にかけて(七~八世紀)、推古〈すいこ〉天皇から称徳〈しょうとく〉天皇まで、六人の女性天皇が即位しました。そのうち皇極〈こうぎょく〉天皇と孝謙〈こうけん〉天皇は二度即位していますので、六人で八代の天皇が存在したことになります。この時代が「女帝の世紀」と呼ばれる所以〈ゆえん〉です。

 そして、女性天皇だけに見られる特徴がいくつか存在しました。とりわけ注目されるのが、天皇史において画期的な出来事とされる「譲位〈じょうい〉」及び「重祚〈ちょうそ〉」が、皇極天皇によって初めてなされたという事実です。なぜ皇極天皇は譲位し、また重祚して斉明〈さいめい〉天皇となったのか。時代背景も踏まえながら、斉明天皇はどんな存在であったのかを考えてみましょう。

 皇極天皇は即位する前、寶皇女〈たからのひめみこ〉と呼ばれていました。父は茅渟王〈ちぬのみこ〉、母は吉備姫王〈きびつひめのみこ〉。同母弟に軽皇子〈かるのみこ〉(孝徳〈こうとく〉天皇)がいます。『日本書紀』の斉明即位前紀には、「初め用明〈ようめい〉天皇の孫高向王〈たかむくのみこ〉と結婚し」「後に舒明〈じょめい〉天皇と結婚して二男一女を生む」(現代語訳)とあります。

二男一女とは、中大兄〈なかのおおえ〉皇子(天智〈てんち〉天皇)、間人皇女〈はしひとのひめみこ〉、大海人〈おおあま〉皇子(天武〈てんむ〉天皇)のことでした。

 さて舒明天皇十三年(六四一)に舒明天皇が崩御〈ほうぎょ〉すると、皇后の寶皇女が即位して、皇極天皇となります。この時、舒明天皇の第一皇子である古人大兄〈ふるひとおおえ〉皇子や、厩戸〈うまやと〉皇子の子である山背大兄王〈やましろおおえのおう〉らをさし措〈お〉いて、皇極が即位したのはなぜなのか。

 最近の研究では、当時の即位には適齢期があったと考えられており、一つの基準を三十五歳と見ています。その点、古人はまだ二十歳前後、山背大兄も年齢的に達しておらず、適齢の皇子がいないということで、四十九歳の皇極が推古天皇に倣〈なら〉って即位したのでしょう。

 かつては皇位継承で競合する候補が複数いる場合、争いを避ける意味で女帝を立てたと考えられました。その可能性も否定はできませんが、最近はむしろ適齢か否〈いな〉かが問題であったと見ています。

 ところで女性天皇について、男性と変わりはなく「中継ぎ」ではないとする説があります。しかし、皇極は女性天皇として史上初の譲位を行ない、また史上初の重祚も行ないました。

 一方、男性天皇の譲位は八世紀に下って、聖武〈しょうむ〉天皇が初めてです。こうした点からも、私は女性天皇と男性天皇は同じではないと考えています。たとえば持統〈じとう〉天皇も、明白に「中継ぎ」として即位していました。

「乙巳〈いっし〉の変」と史上初の譲位 >

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