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長篠の合戦の真相~武田勝頼はなぜ無謀な突撃を繰り返したのか

2017年05月21日 公開

歴史街道編集部

長篠設楽原・馬防柵

今日は何の日 5月21日

長篠の合戦で織田・徳川連合軍が武田勝頼軍を破る

天正3年5月21日(1575年6月29日)、長篠合戦が起こりました。戦国最強と呼ばれた武田軍の精鋭を、織田・徳川連合軍が破ったことで知られます。

長篠合戦の流布しているイメージは、勇猛で鳴る武田騎馬隊を、信長が3000挺の鉄砲で3段撃ちを行ない壊滅させたというものでしょう。学校でもそう教わりましたし、何といっても映像的に黒澤明監督の映画「影武者」のラストシーンが決定的かもしれません。それとともに、革新的な信長に対し、無謀な突撃を繰り返させた武田勝頼の愚将のイメージも定着しました。しかし実際は必ずしもそうではなく、鉄砲3000挺も疑問が呈され、合戦そのものも従来言われていたものとは随分様相は異なっていたことがわかってきています。

天正3年5月8日、武田勝頼は1万5000の兵で奥三河の長篠城を囲みました。この勝頼の目的について、長篠城を囲むことで織田・徳川軍を引きずり出し、雌雄を決するつもりだったという説もありますが、そうではないでしょう。前年の天正2年、勝頼は遠江の要衝・高天神城を攻略しています。父親の信玄ですら落とせなかった難攻不落の城であり、浜松城の徳川家康が衝撃を受けたのはもちろんですが、家康にとって由々しきことは、信長の援軍が間に合わなかったという現実でした。援軍が来ないのであれば、織田・徳川同盟は意味がなく、遠江の国人にとって家康は頼りにならない主ということになります。

遠江に楔を打ち込んだ勝頼は、すかさず次は三河の長篠城を包囲。長篠城も攻略すれば、遠江・三河の国人の動揺は、もはや収拾がつかなくなるのです。長篠城を守る奥平貞昌勢は僅か500。当時、家康が動員できる兵数は8000程で、単独ではとても勝頼とは戦えません。そこで家康は、「織田殿が援軍に来ぬのなら、わが軍は武田勢とともに尾張に乱入する」と、脅しに近い内容で信長に援軍を求めるのです。それほど事態は切迫していました。

勝頼にすれば、徳川軍来援前に長篠城を落としてしまえば、作戦目的は達成です。しかし勝頼の誤算は城が10日間持ちこたえ、5月18日に織田・徳川連合軍3万8000が城の西4kmの設楽原に到着したことでした。決戦か、撤退か。勝頼は決断を迫られました。撤退するにせよ、敵の追撃は覚悟せねばならず、損害は免れません。

また勝頼の決断を左右したものに、織田の重臣・佐久間信盛が内応するという情報がありました。実際は信長の謀略でしたが、これも織り込んで勝頼は撤退せず、19日の夜から翌朝にかけて、軍を長篠と設楽原の中間まで移動させます。やや接近して敵の動揺を誘い、様子を窺うつもりだったのかもしれません。

一方、織田・徳川連合軍は設楽原から動こうとせず、せっせと陣地を「陣城」に変貌させる土木作業を行ない、さらに前面に柵を築きました。 そして武田軍の運命を決めたのが、21日未明の酒井忠次らによる鳶ノ巣山砦の攻略でした。退路を断たれたに等しい武田軍にとって、もはや前面の設楽原の敵を粉砕する以外に起死回生はなくなったのです。かくして勝頼は、柵の奥の敵へ突撃を命じました。

戦いは、なんと8時間に及びます。この点だけでも、長篠合戦が鉄砲の3段撃ちであっさり決まったものでないことは、容易にわかるはずです。しかし武田軍にとって悪条件であったのは、敵陣前の泥田が深く、前を流れる連吾川も水量があって、騎馬隊の持ち味の機動力が大いに削がれた点です。それでも武田軍は果敢に前進し、横に伸びる敵陣の両端を衝いて壊乱させようとしますが、城のような構造に築いた敵陣を攻めあぐねて損害を増やし、さらに武田軍の中央を担う穴山信君、武田信廉などの一族衆が撤退を始めたため、組織的な攻勢がとれなくなりました。結果、乱戦の中で山県昌景、馬場信春、内藤昌豊、土屋昌次、真田信綱ら武田が誇る名将が次々と討死を遂げ、勝頼の敗北となったのです。

結果的には、織田・徳川連合軍の戦術が武田軍を破ったことに違いはありませんが、単純に信長が先進的で、勝頼が無謀であったという図式ではなかったことを知っておきたいところです。



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