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アッツ島玉砕の悲劇~山崎保代と樋口季一郎

2017年05月29日 公開

歴史街道編集部

今日は何の日 昭和18年5月29日

アッツ島の日本軍守備隊が全滅

昭和18年(1943)5月29日、アッツ島の日本軍守備隊が全滅しました。アッツ島の玉砕として知られます。

前年の昭和17年6月8日、日本軍はアメリカ領であるアラスカ州のアリューシャン列島ニア諸島の最西部にある、アッツ島、キスカ島に上陸、占領しました。その目的はミッドウェー作戦の陽動であり、敵の目をアリューシャン方面に向けさせるためです。しかしミッドウェー作戦は4隻の正規空母を失う惨敗となり、アッツ・キスカ島占領の意味も虚しいものとなりました。しかも島は陰鬱な気候で夏は雨、冬は雪が多く、作物など育たないやせた不毛の土地です。

昭和18年に入ると、アメリカ軍の反攻が激化し、アダック島に建設された飛行場からの両島への空襲も頻繁となりました。 さらに潜水艦や輸送船による補給も滞りがちとなり、アッツ島の2600余名の将兵は孤立感を深めます。アッツ島守備隊は北方軍の麾下にあり、その司令官は樋口季一郎中将でした。

樋口は満洲で立ち往生したユダヤ人難民を独断で救ったオトポール事件で知られる、人道を重んじる武人です。樋口は大本営に、アッツ・キスカ両島の守備隊を撤退させることを進言しますが、大本営は耳を貸さず、両島の保持増強を命じます。そして4月18日には、アッツ島の新たな守備隊長として、山崎保代大佐が赴任しました。山崎は当時52歳。樋口は山崎がアッツへ赴く前に会い、万一、敵が上陸戦を挑んでくるようであれば、万策を尽くして兵員兵備の増強を行なうので、自分を信じて戦って欲しいと激励しています。樋口の言葉に偽りはなく、その証拠に北千島には増援部隊を用意していました。

山崎が赴任してから約1ヵ月後の5月12日、ブラウン米陸軍少将が指揮する第7師団1万1000人が、米海軍第51任務部隊(戦艦3、空母1、重巡3、軽巡3、駆逐艦19)の支援を受けて、上陸戦を開始。これに対し、山崎指揮する守備隊は敵の4分の1以下の兵力ながら、高地に築いた陣地に拠って果敢に敵を迎撃し、一時はアメリカ軍を海岸にまで後退させる打撃を与えます。 しかし数と火力で圧倒する敵に、次第に戦線を縮小していかざるを得なくなりました。

こうした状況下で16日、樋口は山崎に「必ず増援するので、東浦要地は確保しておけ」と緊急電を送り、すぐさま増援部隊を向かわせる準備を整えます。ところが、大本営からの命令は信じ難いものでした。「アッツ島への増援計画は、都合により放棄す。その他の作戦準備はすべて中止せよ」。アッツ島を見棄てろというのです。樋口は激怒し、また奮戦している山崎ら将兵との約束を守れないことに、男泣きします。

5月21日、断腸の思いで電報を打ちました。 「中央統帥部の決定にて、本官の切望せる救援作戦は現下の状勢では不可能となれり、との結論に達せり。本官の力の及ばざること、誠に遺憾に堪えず、深く陳謝す」 。

翌日、山崎から返信が届きます。 「戦する身、生死はもとより問題にあらず。守地よりの撤退、将兵の望むところにあらず。戦局全般のため、重要拠点たるこの島を力及ばずして敵手に委ねるに至るとすれば、罪は万死に値すべし(中略)。将兵全員一丸となって死地につき、霊魂は永く祖国を守ることを信ず」。

そして29日、山崎から最後の電文が届きました。「敵陸海空の猛攻を受け、第一線両大隊は殆ど壊滅のため、要点の大部を奪取せられ、辛うじて本一日を支ふるに至れり。地区隊は海正面防備兵力を撤し、これ以て本二十九日、攻撃の重点を敵集団地点に向け、敵に最後の鉄槌を下し、これを殲滅、皇軍の真価を発揮せんとす(中略)」。「他に策無きにあらざるも、武人の最後を汚さんことを恐る。英魂とともに突撃せん。従来の懇情を深謝すると共に閣下の健勝を祈念す」と結び、機密書類をすべて焼却した山崎は、無線機を破壊して処分しました。

そしておよそ300の兵をひきつれた山崎は、弾丸が雨あられと降り注ぐ中を、敵の重砲陣地目がけて突撃を敢行。この時、山崎は右手に軍刀、左手に日の丸の小旗をかざし、自ら先頭に立って敵陣に斬り込んで、奮戦の末に壮烈な戦死を遂げました。

この日、アッツ島守備隊は壊滅。日本軍の死者は2638人、生存者僅か27人。生存率1%。 一方、アメリカ軍1万1000のうち、死者は550人、負傷者1140人、戦闘不能者1500人に及び、日本軍は4倍以上の敵に痛撃を与え、19日間も奮闘を続けたことになります。戦後、遺骨収集の際、日本軍攻撃隊の最も先頭で遺骨・遺品が発見されたのが、山崎でした。最後まで、指揮官先頭を守り抜いていたのです。

また、このアッツ島の悲劇を繰り返させないために、樋口は海軍と協力して、キスカ島守備隊の撤退を成功させました。 実はアッツ島の奮戦があったため、アメリカ軍はキスカ島守備隊も徹底抗戦するものと思い込み、その錯誤が撤退作戦の成功を導きます。キスカ島撤退の奇跡的な成功は、アッツ島の将兵が命を代償にもたらしたものともいえるのです。

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