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ジョン万次郎の生涯~土佐の漁師が一転、幕末一の知識人に



2017年06月04日 公開

6月4日 This Day in History

ジョン万次郎(中浜万次郎)銅像

今日は何の日 天保12年6月4日

土佐の漁師・万次郎らが米国捕鯨船に救助される

天保12年6月4日(1841年7月21日)、操業中に遭難していた土佐の漁師・万次郎らが、アメリカの捕鯨船に救助されました。万次郎は後に中浜万次郎、ジョン万次郎として知られることになります。

万次郎は文政10年(1827)、土佐国中浜村(現在の土佐清水市)の半農半漁の家に次男として生まれました。 天保12年、15歳の時、出稼ぎに来ていた宇佐浦からかつお漁に出て嵐に遭い、漁師仲間4人とともに遭難。数日間の漂流の後に無人島の鳥島に漂着し、なんとか露命をつないで、143日目、アメリカの捕鯨船ジョン・ホーランド号に仲間とともに救助されます。

船長のホイットフィールドは親切な人物で、万次郎の向学心を気に入ってジョン・マンと呼び(ジョンは船名にちなむ)、航海中に英語を教えます。他の4人はハワイで下船しましたが、船長は万次郎の希望を容れて、彼をアメリカ本国に連れて行きました。

そしてホイットフィールド船長の養子となった万次郎は、本国でオックスフォード学校、バーレットアカデミーに通い、英語、数学、測量術、航海術、造船技術などを学んだといいます。 有為な若者を後押しするアメリカ人の姿勢は、後年の新島襄のケースとも共通するものでした。

学校を優秀な成績で卒業すると、万次郎は捕鯨船に乗り、船員たちから副船長に選ばれます。外国人からも認められる万次郎の人柄が窺えるでしょう。

弘化3年(1846)の20歳の時から数年を、万次郎は捕鯨船乗組員として過ごし、太平洋、大西洋、インド洋を巡っています。 やがて嘉永3年(1850)、日本に帰国することを決意すると、万次郎は捕鯨船時代の収入に加えて、ゴールドラッシュに沸くカリフォルニアで働いて資金をため、小型船の「アドベンチャー号」を購入。上海に向かう商船に「アドベンチャー号」も積んで、日本に向かいました。

翌嘉永4年(1851)1月、万次郎は「アドベンチャー号」で当時は薩摩藩領であった琉球の摩文仁海岸(糸満市)に接岸します。外国から鎖国下の日本に戻ってきたということで、万次郎は薩摩本土で取り調べを受けますが、開明的な藩主として知られた島津斉彬自ら直々に質問し、非常に厚遇されたといいます。

その後、万次郎は長崎に送られて、長崎奉行所で幕府の尋問を受けた後、母藩である土佐藩に引き取られます。高知城下では藩の参政・吉田東洋が取り調べ、この間、万次郎を自邸に起居させた河田小龍が万次郎の話を聞き書きし、自ら挿絵を加えて『漂巽紀略(ひょうそんきりゃく)』5巻にまとめ、藩に提出しました。

間もなく万次郎は士分に取り立てられ、藩校教授館の教授に任命されて、後藤象二郎や岩崎弥太郎を教えました。身分にうるさい土佐藩にすれば、一介の漁師が藩校の教授になるなど、破格のことであったでしょう。

そして折も折、嘉永6年(1853)にペリーが来航すると、『漂巽紀略』の影響もあり、アメリカ事情をよく知る人物として幕府は万次郎を江戸に呼び寄せ、直参旗本の身分と「中浜(濱)」姓を与えました。万次郎は臆せず、アメリカ人と親しく話すことができたといわれます。その後、万次郎は幕府軍艦操練所の教授となり、航海術や造船技術を教えるかたわら、『ボーディッチ航海術書』の翻訳、英会話書の執筆などを行なっています。

安政6年(1860)には遣米使節団の一員となり、咸臨丸に乗船してアメリカに渡りました。この時に艦長の勝海舟や、福沢諭吉らとも知り合います。 咸臨丸の乗組員の多くは、江戸で万次郎から英語を学んでいました。万次郎はアメリカでは一行の通訳として活躍するとともに、ウェブスター英語辞書を購入し、日本に持ち帰りました。

慶応2年(1866)には土佐藩の開成館教授となり、英語や測量術、航海術を教えています。また参政・後藤象二郎とともに上海に渡り、帆船「夕顔丸」を買い付けました。翌慶応3年(1867)には薩摩藩に招かれて、航海術や英語を教えます。幕府も、西南雄藩も、万次郎の知識と経験をいかに求めていたかがよくわかるでしょう。

そして薩摩による武力倒幕の動きが本格化する中、江戸に戻りました。 維新後、明治2年(1869)には政府により、開成学校(現在の東京大学)の教授に任命されます。翌年には普仏戦争視察団の一員として、大山巌らとともに欧州に赴き、帰国途上、アメリカで恩人のホイットフィールド船長と再会しました。

帰国後、体調を崩し、その後は主に教育に携わりながら過ごしました。明治31年(1898)、没。享年72。幕末から維新にかけて、日本が西洋の知識を最も欲していた時に彗星のように現われたジョン万次郎。彼がいたかどうかで、その後の日本の歴史は大きく変わっていたのかもしれません。そう思うと、歴史の中で果たされる個人の役割の不思議さを感じずにはいられません。



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