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織田有楽斎の武将としての顔

2017年12月13日 公開
2018年12月03日 更新

12月13日 This Day in History

国宝茶室「如庵」
国宝・茶室「如庵」(愛知県犬山市)

織田有楽斎が没

今日は何の日 元和7年12月13日

元和7年12月13日(1622年1月24日)、織田有楽斎が没しました。本名は織田源五長益で、織田信長の実の弟です。

織田有楽斎は千利休の高弟でした。利休十哲の一人にも数えられ、のちに自ら有楽流という一派を開いています。彼の茶室如庵は、今は国宝になっています。茶人として芸術的な天才性を発揮した有楽斎ですが、武将としての顔はどうだったのでしょうか。

「織田の源五は人ではないよ お腹召せ召せ 召させておいて われは安土へ逃げるは源五」

織田有楽斎が京童から揶揄されたのは、本能寺の変の時でした。信長が討たれ、嫡男の信忠は二条御所で明智光秀軍と戦いますが、その信忠に切腹を勧めておいて、自分はちゃっかり脱出したことを皮肉られたのです。

その後、小牧・長久手の戦いの折には秀吉と家康の講和を仲介し、関ケ原では東軍について石田三成勢相手に奮戦、大坂冬の陣では和睦に尽力し、夏の陣の前に大坂城を離れました。ある意味、巧みに乱世を生き抜いたといえるのかもしれません。その子孫二家は大和国の大名となって、幕末維新まで存続しています。

なお東京の有楽町は、有楽斎の屋敷があったため有楽ケ原と呼ばれたことに由来するといわれますが、意外にも有楽斎が江戸で暮らした記録はなく、ほとんど上方で過ごし、没したのも京都でした。

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