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政治の流れを変えた「天平のパンデミック」~インフルエンザの比じゃない恐ろしさ!

2017年12月28日 公開
2017年12月28日 更新

澤田瞳子(作家)

時は天平。疱瘡(天然痘)の大流行が、藤原四兄弟全員を死へと追いやった。それはまさしく、奈良時代のターニングポイントとなったのである。

復元された平城京の朱雀門
復元された平城京の朱雀門
 

疫病の大流行で政治機能が麻痺した

今年もインフルエンザの季節がやってきました。現代に生きる私たちにとっても、ある病気が爆発的に流行する「パンデミック」は、恐ろしいものです。

医学の発展には、「疫病との闘いの歴史」という側面があります。日本史においても同様で、時代が遡るほど、疫病の流行は多大な被害をもたらしてきました。

奈良時代の記録をみると、天平9年(737)に、ある疫病が大流行しています。この疫病によって当時、政権を握っていた藤原四兄弟(武智麻呂、房前、宇合、麻呂)全員が病死し、政治機能が一時的に麻痺してしまいました。

原因は疱瘡(天然痘)とされていますが、実は史料に明記されているわけではありません。天平7年(735)にもやはり同じような病気が流行った記録がありますが、この二つの病を同一と考えるかどうかも説が分かれています。

では、これらの疫病がどこから来たのか。

海外からもたらされたものであることは間違いないとは思いますが、特定できてはいません。というのも、天平6年(734)から9年の間に、遣唐使のほか、渤海や新羅に行った使節が帰国しているからです。

私自身は遣新羅使が持ち込んだのではないかと考えていて、この疫病の流行を背景にした最新作の長編小説『火定(かじょう)』でも、そうした設定で物語を展開しました。実際、使節の中には新羅で亡くなっている人もいますし、『万葉集』には、往路の壱岐で病に倒れた人のいたことが記されています。彼らは、壱岐にまで広まっていた疫病に感染したのでしょう。
 

公卿の三分の一が感染して死亡!?

奈良時代の史料そのものが少なく、特に疫病についての公的な記録は稀少です。ですから、犠牲者数やどのような対策が取られたのかも、ほとんどわかりません。

ただ、天平年間に政治を担っていた公卿たちが、疫病の流行前後でどれぐらい入れ替わったかを調べた研究があります。これによると、流行前に92名だった公卿たちが、流行後には56名に減少しています。

実際に罹患した人数は不明ですが、トップクラスの公卿たちのうち、三分の一が死亡した可能性が高い。環境や栄養状態を考えると、庶民が罹った場合、半数以上が亡くなったとしても不思議ではありません。

この非常に高い致死率から、当時の日本では未経験に近かった疱瘡、つまり天然痘だったのは、まず間違いないでしょう。

それでは、この大流行を人々はどう受け止め、どのような手立てが講じられたのか。

疱瘡は、高熱から始まるものの、数日後にはいったん熱が下がります。ここで「治った」と思って動き回ると、感染がどんどん拡大してしまいます。数日後に再び高熱が出て、さらに激しい痛みを伴う発疹が全身に広がります。致死率は高く、治ったとしても発疹の跡が顔などに残ってしまうのです。

強い感染力も特徴です。低温や乾燥に強く、罹患した人が使っていた寝具を、2週間後に別の人が使っても罹患する可能性があるといいます。剥がれ落ちた瘡蓋からの感染です。会う人が限られていた公卿たちが次々と罹患していることからも、感染力の強さがうかがわれます。

また発症までには、12日前後の潜伏期間があるとされています。いったん熱が収まるという特徴と長めの潜伏期間、そして強い感染力によって、疱瘡は爆発的に広まったのです。

こうした状況下で、どのような治療が施されていたのか。

これも記録は残っていません。天平2年(730)、皇后・藤原光明子が施薬院と悲田院を設立しています。施薬院は今でいう病院、悲田院は孤児や飢人を救済する施設でした。どれほどの収容力や医療技術があったかは定かではありませんが、何らかの手立てを講じた可能性はあります。

一方、宮城内には貴族専用の医療機関である典薬寮と、天皇をはじめ皇族を診察する内薬司がありました。

しかし、疱瘡に対する知識や治療法、感染予防のマニュアルがなかったのは、市井も宮城内も同じです。ほとんどなす術もなく、快癒を祈りながら、思いつく限りの対症療法を施すしかありませんでした。

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著者紹介

澤田瞳子(さわだとうこ)

作家

昭和52年(1977)、京都府生まれ。同志社大学文学部文化史学専攻卒業、同大学院前期博士課程修了。平成22年(2010)のデビュー作『孤鷹の天』で中山義秀文学賞を受賞した他、『満つる月の如し 仏師・定朝』で本屋が選ぶ時代小説大賞と新田次郎文学賞を、『若冲』で親鸞賞を受賞。主な著書に、『腐れ梅』『与楽の飯 東大寺造仏所炊屋私記』などがある。天平年間における天然痘の大流行をテーマにした最新刊『火定』が直木賞候補に。

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