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名古屋城の金鯱は、何度も盗難にあっていた!



2018年01月05日 公開

1月6日 This Day in History

名古屋城金鯱
 

名古屋城大天守 金鯱の鱗盗難事件

今日は何の日 昭和12年(1937)1月6日

昭和12年(1937)1月6日、名古屋城で鯱の金の鱗が58枚盗まれていることが発覚しました。「名古屋城鯱の金鱗盗難事件」です。

明治26年(1893)、名古屋城はそれまでの陸軍省管轄から宮内省に移管されることになり、名古屋離宮と称されました。しかし昭和5年(1930)に離宮は廃止され、宮内省から名古屋市に下賜されます。以後、名古屋城は恩賜離宮として市民に一般公開されることになりました。そして下賜記念事業で実測調査中だった昭和12年1月6日、事件が発覚するのです。

1月6日朝、名古屋市建築局技師が、鯱の雄の胴体の金鱗110枚のうち、58枚がなくなっているのを発見しました。当時、測量のために足場が組まれており、犯人は大胆にも夜間、その足場を使って屋根に上り、鱗をはぎとっていたのです。愛知県刑事課は報道を全面禁止し、全国に指名手配を行ないました。そして1月27日、犯人が鱗を金の延べ棒に鋳直して、大阪の貴金属店に売り込んだところを逮捕。犯人は大阪の男で、名古屋城の天守内に身を潜めて夜を待ち、犯行に及んだといいます。犯人は懲役10年。この事件で、名古屋市長が引責辞任する事態となりました。

実は鯱の金の鱗が盗まれたのはこれが最初ではなく、明治時代にも3度あり、いずれも犯人は捕まっています(そのうち2度は軍関係者)。当時の鯱の金は、創建当初に比べれば遥かに純度が落ち、輝きも鈍くなっていましたが、それでも十分に魅力的であったようです。慶長17年(1612)に名古屋城の天守が上がった際、屋根に輝く金鯱雌雄一対には、慶長小判1万7,975両(純金換算で215.3kg相当)をつぶして使われていました。金箔ではなく本物の金を使った豪奢なものは、後にも先にも名古屋城のみです。「天下様でもかなわぬものは、金のシャチホコ雨ざらし」と尾張の人々は謳いました。

しかし享保15年(1730)、財政難に苦しむ尾張藩は、金鯱の鱗をはがして小判に鋳直し、その代わりに薄くて純度の低い金の鱗を貼り付けました。同じことが文政年間、弘化年間にも繰り返され、威容を誇った鯱も、明治の頃にはすっかりやせ細り、色あせていたのです。

なお伝説として、江戸時代には大凧に乗って天守の屋根に上り、金鯱の鱗を盗んだ大盗賊・柿木金助の話があります。もちろん話はフィクションですが、柿木金助自身は実在の尾張の盗賊で、国外追放となっても舞い戻っては悪事を働き、ついに死罪の判決を受けたところを、悪運強く恩赦で重追放に。さらに捕らえられると、牢破りをして、美濃で捕らえられ、宝暦13年(1763)に磔獄門となりました。そんなふてぶてしさが、月を背に天守にまたがり、金の鯱を手にする痛快な大盗賊の姿を想像させたのでしょうか。

さまざまな物語に彩られた名古屋城の鯱も、昭和20年(1945)の空襲で焼失。現在のものはその後復元された鯱で、使用された金の重量は88kgだということです。



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