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徳川頼宣~豪胆無比、幕府転覆の嫌疑あり?

2018年03月07日 公開

歴史街道編集部

葵の御紋
 

紀州徳川家の祖・徳川頼宣が生まれる

今日は何の日 慶長7年3月7日

慶長7年3月7日(1602年4月28日)、徳川頼宣が生まれました。徳川家康の10男で紀州徳川家の祖。徳川吉宗の祖父としても知られます。由井正雪の慶安の変に関与し、あわよくば将軍の座を狙ったなどともいわれますが、どうであったのでしょうか。

慶長7年(1602)、頼宣は家康の10男として伏見城に生まれました。翌年、2歳にして水戸20万石を与えられ、さらに慶長9年(1604)には、5万石を加増。しかし幼少のために家康とともに駿府城にいて、水戸に赴くことはありませんでした。

慶長14年(1609)、8歳の頼宣は25万石を加封され、駿河・遠江・東三河50万石とし、弟の頼房(家康11男)が水戸に封じられます。慶長20年(1615)の大坂夏の陣では、14歳の頼宣も甲冑をまとって出陣し、家康の本陣で対面します。この時、「今日の戦では先手を承らないので、合戦に参加できないのが、残念でならぬ」と涙を流しました。松平正綱がそれを見て、「まだ、お若くいらせられます。これからも戦はございましょう。お嘆きなさいますな」と言うと、「やあ、正綱。われに14歳の時が二度あるか」と食ってかかりました。聞いていた家康は「頼宣の一言、今日の戦いに遭ったことよりも名誉の至りじゃ」と喜び、並みいる武将たちも感嘆したといいます。

元和5年(1619)、安芸・備後領主の福島正則の改易に伴い、浅野長晟(ながあきら)がそのあとに入ると、頼宣は紀伊・伊勢55万5000石に転封となりました。これは兄・秀忠が、背後から京都・大坂を守る「上方の要害、西国咽喉の地・紀州に、信頼できる身内を置きたいと考え、頼宣こそ適任と考えていたのを察して、「自分は喜んで紀州に入り、上方・西国の鎮守となりましょう」と頼宣自らが言い出して、紀州入りしたものといわれます。18歳の時でした。

紀州入りの翌年、元和6年(1620)から陣頭指揮して、和歌山城の南方、雑賀山に紀州東照宮を建立、翌年には僧・天海をわざわざ迎えて、正遷宮を執り行なっています。また、かつて聖武天皇が離宮を営み、山部赤人が和歌を詠んだ風光明媚な和歌浦付近を新田開発してはどうかと家臣が進言すると、頼宣はこれを退けました。

「名のある池を埋め立て、山を切り崩してはならない。歌に詠まれた名所旧跡には手を触れるな。将来、頼宣は新田を開き、利欲のために自然を壊した。さても愚蒙の人であることよと嘲られるのは、明らかだ」

と言って諭したといいます。

慶安4年(1651)、頼宣50歳の時にいわゆる慶安の変が起こります。由井正雪らによる、幕府転覆計画ですが、この時、正雪が頼宣の判のある文書を所持していたことから、頼宣の関与が疑われました。時あたかも3代将軍家光が没し、4代将軍家綱はまだ幼子。いまや徳川一族の重鎮ともいうべき家康10男・頼宣の存在は、松平信綱をはじめとする幕閣には、油断できぬ存在と映っていたようです。そこで幕閣は頼宣を江戸城に召喚し、不審な点があれば身柄を拘禁することも考えた上で、証拠の文書を突きつけて問い質します。すると頼宣は文書を眺めて、「まことお家のために慶賀にたえぬ。もしこれが外様の諸大名の名を騙りしものであれば、よもや安心もできまいが、お家の血脈たるそれがしの名を騙るとは、これぞまさしくお家安泰の兆し」と平然と言ってのけ、幕閣を煙に巻きました。

頼宣はこの一件があったため、10年も江戸に足止めされたといいますが、やがて疑い晴れて和歌山に戻ります。寛文7年(1667)、嫡男・光貞に家督を譲り隠居。寛文11年に没しました。享年70。 家康の息子に相応しく覇気に富んだ人物であり、その孫が吉宗であるというのも、頷けるような気がします。



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