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世界に誇るべき温泉地「熱海」の意外な歴史

2018年02月01日 公開

石川理夫(温泉評論家・日本温泉地域学会会長)

徳川家康、伊藤博文、尾崎紅葉らが
こよなく愛した

 

 近年、観光客が増加し、改めて注目を集めている、温泉地・熱海。しかし、明治・大正時代には、多くの人々にとっての「憧れの旅行先」だったことは、今ではあまり語られていない。時を超えて、人々を惹きつけている熱海の魅力とは。

 

ブランドが確立した江戸時代

 「憧れの旅行先」といえば、皆さん、どこを思い浮かべるでしょうか。

 国内外に多くの魅力的な観光地がありますが、リゾート気分を楽しみたいという方は、ハワイなどを挙げるかもしれません。とはいえ、それも交通の便が発達した現代でのこと。もしも、明治・大正時代の人々に同じ質問をしたならば、

 ――熱海

 という答えが返ってきたはずです。

 熱海といえば、昭和の頃は新婚旅行や社員旅行先の定番であり、近年も、若者を含めて多くの観光客で賑わう、日本有数の温泉地です。しかし時代を遡れば、現在のハワイのように、人々がまさしく憧れていた地でした。

 なぜ、明治・大正時代、人々は熱海を特別視したのか。歴史をひも解けば、理由が見えてきます。

 温泉地の中の温泉地――。

 私は、熱海はそう呼ぶに相応しいと考えていますが、それは地名の由来からも見て取れます。

 伝承によれば、「炎熱地獄」(『地蔵菩薩霊験記』)と称されたほど、熱海地域には古来、海辺に熱泉が湧いていたといいます。とはいえ、随分と水の温度が高く、滾るような熱泉だったようです。

 こうした背景から、熱海地域は「熱水」「熱海」などを意味する「あたみ」と呼ばれるようになりました。これは九州随一の温泉地である別府も同様でしたが、熱海地域の温泉資源の豊かさが地名にも表われています。

 熱海地域は、同じ読み方で平安時代には「直見」と名づけられ、鎌倉時代になると、現在と同様の「熱海」という漢字があてられます。

 ちなみに、人々が温泉を利用するために訪れ始めたのも、この頃からです。

 やがて江戸時代に入ると、いわば「熱海ブランド」が確立します。江戸期で温泉紀行の本が最も多く刊行された温泉地は、熱海(30冊)と有馬でした。

 背景には、「神君」の存在がありました。江戸幕府を開いた徳川家康は、関ケ原合戦の3年前、初めて熱海を訪れています。以降、徳川家と熱海は深い関係であり続け、3代将軍の家光などは、熱海湯治を計画して御殿までつくらせています。

 そんな「将軍ご愛用の湯」にあずかろうと、加賀藩主や仙台藩主をはじめ、江戸詰の大名もこぞって湯治に出かけ、見晴らしの良い豪華な造りの本陣宿に滞在しています。ただ、庶民はよほど裕福で時間のゆとりがなければ、行けませんでした。

 そこで、繁盛したビジネスが、熱海の源泉を湯樽で江戸まで運び、湯屋で憧れの「薬湯(やくゆ)」として庶民も利用する、というものでした。

 熱海の温泉は塩分をたっぷり含んでいますので、保温効果が抜群で、薬湯としての効果は絶大。加えて、一度冷めて沸かし直しても、成分は変わりません。熱海は、昔から湯の質も「温泉地の中の温泉地」であり、そんな熱海の湯を人々はこぞって求めたのです。

 

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著者紹介

石川理夫(いしかわ・みちお)

温泉評論家・日本温泉地域学会会長

昭和22年(1947)生まれ。東京大学法学部卒業。温泉評論・執筆のかたわら、共同湯、温泉文化史などの研究に携わる。『温泉の平和と戦争』『温泉法則』『温泉巡礼』など著書多数。『熱海温泉誌』の監修・編集委員長。

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