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「負けじ魂」を貫いた長岡の400年

2018年02月07日 公開

江宮隆之(作家)

牧野忠成、河井継之助、小林虎三郎、山本五十六……


有名な長岡花火(提供:長岡市)
 

 今年、開府400年を迎えたのが、新潟県の長岡市。現在、市章は「長」の文字に、不死鳥のイメージを重ねたものだが、なぜ不死鳥なのか。その理由は、度重なる苦難にも決して挫けず、起ちあがり続けた長岡の歴史に目を向ければ分かる。
 

「常在戦場」だった牧野氏

 今から400年前――。それは長岡にとって、大きな転機だった。

 元和4年(1618)、徳川譜代の大名であった牧野忠成が、越後・長峰から長岡に移封された。

 以来、長岡は明治維新までを牧野氏の城下町として発展した。この間、牧野氏の「常在戦場」の精神、そして「負けじ魂」といった、

 ――どんなことがあっても、決して挫折しない。

 という精神が、長岡では受け継がれていったのである。

 現在、長岡市の市章は「長」の文字に、不死鳥のイメージを重ねたものである。これには、どんな苦難に遭っても、起ち上がり続けた長岡の歴史が込められている。

※     ※     ※

 牧野氏は、15世紀から16世紀、三河・牛久保を拠点としていた。

 戦国期の牛久保は、武田、今川、松平(徳川)の狭間にあって、「常に戦場にある」との意識を持たなければ、滅亡の危機に瀕する、という地勢にあった。牧野氏は、そうした状況の中で抗争を繰り返し、その末に徳川家康に仕えた。

 だが、慶長5年(1600)に転機を迎える。

 関ケ原合戦を前にして、牧野氏は徳川秀忠率いる徳川軍にあって、真田昌幸の籠もる信州・上田城攻めの際、いくつかの軍中法度を犯したのだ。敗戦のきっかけともいわれ、忠成は抜け駆けの家臣を庇い出奔、父・康成は蟄居・幽閉となり、滅亡の危機に陥った。

 しかしその後、忠成は家康・秀忠によって失地回復のチャンスを与えられた。

 彼は武功ではなく「徳川幕府成立の影の立て役者」ともいわれる政治手腕が認められ、元和2年(1616)に越後・長峰5万石を与えられる。2年後、長岡に移封されて6万4000石余、さらに2年後に1万石を加増されて、7万4000石余りの大名となった。

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著者紹介

江宮隆之(えみや・たかゆき)

作家

昭和23年(1948)、山梨県生まれ。『経清記』で第13回歴史文学賞、『白磁の人』で第8回中村星湖文学賞を受賞。

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