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連合赤軍あさま山荘事件~警察が強行突入。視聴率は89.7%!

2018年02月28日 公開
2019年01月24日 更新

2月28日 This Day in History

浅間山荘
現在の浅間山荘
 

あさま山荘事件。死者3名も人質を救出、犯人全員を逮捕

今日は何の日 昭和47年2月28日

昭和47年(1972)2月28日、長野県北佐久郡軽井沢町の浅間山荘で、5人の連合赤軍が人質をとり、10日間立て籠もりました。警察官の強行突入により無事人質は救出され、犯人は全員逮捕されました。「あさま山荘事件」です。

2月28日。警察が強行突入のXデーと定めたこの日、午前9時から犯人らへの呼びかけが始まります。

「人質を解放しなさい。武器を捨てて出てきなさい。午前10時までに決心しなさい」

しかし山荘は不気味に静まり返っていました。9時55分に最後の呼びかけを行ない、応答がないため、警察はいよいよ作戦を開始します。すると10時7分、山荘から警備車両に向けて、一発発砲。これが犯人らの回答でした。

大型クレーン車を警察が始動させ、1トンの大鉄球をぶら下げた巨大なアームが伸び始めると、山荘内からしきりに発砲が始まります。 10時54分、大鉄球がうなりを上げて山荘の2、3階部分の白い壁をズシンと直撃。さらに第二撃、三撃と続きました。警察の狙いは、犯人らが鉄球で破壊された3階部分の対応に追われている隙に、正面玄関と屋根裏から決死隊が突入し、2階に捕われているはずの人質を救出、さらに犯人らを挟撃するというものです。

11時17分、第二機動隊決死隊が3階管理人室から山荘内に突入、同24分には第九機動隊が1階より突入、これですぐに制圧できるかと思われましたが、そうはいきませんでした。 11時27分、山荘の外でクレーン車と放水車の指揮を執っていた高見警部が顔面を狙撃されて殉職。11時55分には、山荘内に突入していた第二機動隊の上原警部が、やはり顔面を撃たれて重傷を負います。さらに正面から山荘に突入を図った第二機動隊の大津隊員も顔面を撃たれ重傷。そして11時56分、山荘外で敵状を偵察していた第二機動隊の内田隊長が頭を撃たれて殉職しました。作戦開始から2時間足らずで2人が死亡、2人が重傷を負ったのです。

実はこの時まで、犯人らの銃撃に対し、警察は拳銃で応射しないという方針でした。しかし、事ここに及んではそんな悠長なことは言っておれず、現場の意見具申に応じて、警察庁の警備本部に拳銃の使用が許可されます。ところが負傷者搬送のために無線手が後退していたり、零下15度の気温で無線機の乾電池が機能を停止したため、発砲許可の命令が最前線に伝わりません。この時、警備実施幕僚長の佐々警視正が自ら山荘内に突入、命令を伝達するとともに、内田隊長を失って指揮系統が寸断された第二機動隊の臨時指揮を執りました。

しかし幕僚長がいつまでも最前線にいるわけにはいかず、佐々淳行警視正は指揮系統が寸断された第二機動隊と、第九機動隊の担当入れ替えを指揮幕僚会議で決定、さらに人質救出のために決死隊を募ることになります。

日没は17時30分。投光車のスイッチが入り、山荘が照明灯に照らされる中、作戦は継続されました。

「犯人が人質を楯にした場合には大楯、防弾楯を前に立て、一斉に検挙せよ」

催涙ガスと放水、そして大楯で犯人を生け捕りにするのが基本方針でした。山荘内で犯人が立て籠もるベッドルームの壁を高圧放水でぶち抜こうとしますが、水が不足しており、放水可能時間は10分間。しかし凄まじい水圧で壁はみるみる崩れました。

17時37分。一隊がベッドルームに突入、しかし猛烈な銃撃に遭います。 18時5分。「間もなく水が切れる」という知らせを機に、第九機動隊は一斉突入をかけました。犯人たちの猛射で負傷者が次々に出ますが、乱闘の末に犯人を確保。人質の女性を無事に保護することに成功。時に18時14分。事件発生から218時間が経っていました。

佐々淳行さんの『連合赤軍「あさま山荘」事件』によると、事件解決後、東京に戻った幕僚長の彼は、辞職を覚悟していたといいます。2人の警察官を死なせ、重軽傷者27人の大失敗の作戦と警察庁内で評されていたからです。妻に「警察を辞めることになる。俺はベストを尽くしたのに、悪口をいわれるいわれはない」と語って、泥のような眠りに落ちました。そこへ後藤田警察庁長官より電話が入り、労いの言葉を受けて、「絶望的に見えたことも、ひと眠りして見ると、さしたることでないことに気づく」という言葉を思い出したといいます。

この突入はテレビ中継され、NHK、民放を合わせて視聴率89.7%に達しました。もちろん報道番組の視聴率日本記録であり、いかに当時の日本人がテレビの前に釘づけになっていたかがわかります。また、警察組織のあり方、作戦の齟齬、警察官たちの熱意、マスコミの報道、民間の協力、さまざまな面で、昭和当時の日本の良さと問題点が浮き彫りになった瞬間であったといえるでしょう。

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