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間宮林蔵 樺太が島だと発見した有能役人は、50歳を越えてから隠密に転身?

2018年09月11日 公開

日本史・あの人の意外な「第二の人生」より

間宮林蔵と日本最北端の石碑
間宮林蔵と日本最北端の石碑
 

「樺太(サハリン)は大陸とつながっていない! 独立した島だったんだ!」

日本史・あの人の意外な「第二の人生」1809(文化6)年、樺太へ調査に訪れた間宮林蔵(1775~1844)は、樺太とシベリアの間に海峡が横たわっていることを発見した。歴史の教科書でもおなじみの林蔵の偉業だ。

「え? 海峡を見つけただけで偉業っておかしくない?」と思われるかもしれないが、そんなことはない。樺太が「半島」であれば、自動的にロシアの領土となったが、「島」となれば話は違う。ロシアは日本との外交交渉なしに、この地をロシア領とすることができなくなったのだ。シーボルトはこの海峡を「間宮海峡」と名付けてヨーロッパで紹介し、林蔵の名は世界地図上で不朽のものとなった。

10代半ばで地理や算術の才能を見出され、常陸国(現在の茨城県)から江戸に出た林蔵少年は、役人となって蝦夷(現在の北海道)に渡り、伊能忠敬から測量術を修学。その後、幕命により開発と国防のための北方探検・調査にくり出した。

間宮海峡を発見したのは2回目の樺太調査のとき。30代半ばでの功績だ。

1811(文化8)年、幕府に報告書を提出した林蔵は、その後、驚くべき転身を遂げる。なんと、幕府の隠密になるのだ。江戸に戻った林蔵は、1822(文政5)年に勘定奉行配下の普請役に就任。各地の河川や堤防の修築などに従事した。そんななか、50代半ばのときに有名な「シーボルト事件(1828)」が起きる。ドイツの医師で博物学者だったシーボルトが、日本地図などの禁制品を国外にもち出そうとして発覚し、関わった者たちが処分された事件だ。じつは、その密告者が林蔵だったといわれている。

幕府天文方の高橋景保を経由して林蔵の下に届いたシーボルトの小包を、開封せずに奉行所に届けたというのだ。これをきっかけに幕府にマークされたシーボルトは、逮捕されて国外追放処分となり、景保は獄死。林蔵が隠密に転身したのはこの後ともいわれている。それにしても、自分が告発したシーボルトのおかげで林蔵の功績が世界に広まったというのは、なんとも皮肉な話だ……。

そして50歳を過ぎてから隠密となった林蔵は、浜田藩(現在の島根県)が行なっていた密輸を摘発し、薩摩藩(現在の鹿児島県)の密貿易に関する内偵などにあたった。潜入困難と評判の高かった薩摩藩に潜り込む際は、城下の職人に弟子入りし、3年間も身分を偽る生活を送った結果、城内に潜入することに成功している。

もともと「調査」が得意だった林蔵は、隠密としてもなかなか優秀だったようだ。

のちに隠密業務で一番困ったのは、こつじきに身をやつしたときで、「服はボロなうえ手荷物がもてないから、100両もの旅費の隠し場所に難儀した」と語っている。

そんな林蔵の暮らしぶりはというと、本給30俵3人扶持にプラス役料10両。

妻子はなく、身の回りを世話する女性との2人暮らしだったという。もっているものといえば、着替え一そろいと、甲冑一領、地図や書物くらい。蚊が多い江戸深川に居をかまえながら夏でも蚊帳を吊らず、冬も火にあたらないで単衣(下着)一枚で過ごしたらしい。

現代人にはまねのできないこのストイックな生活は、一種の職業病。厳しい「お役目」に備えたものだったのだろう。肉体も鋼のように鍛えられていたという。

シーボルト事件以来、蘭学を志す学者など一部の者たちからは敬遠された林蔵だったが、仕事にはプライドをもって打ち込んでいたのだ。

それを物語る話が伝わっている。1838(天保9)年、60代半ばのとき、林蔵が幕府から養子をとるように勧められると、「私の跡目は継げても、才能を継がせることはできません。才能のない者が同じ仕事に就いても禄(ろく)盗人になるだけです」と、その話を断ったという。実際にはのちに養子をとるのだが、それは心変わりした林蔵の決断か、幕府による配慮か。生涯を「調査」にかけた林蔵は、1844(弘化元)年、70歳頃に死没。遺骨は、郷里の専称寺に埋葬された。

※本記事は、「誰も知らない歴史」研究会編著『日本史・あの人の意外な「第二の人生」』より一部を抜粋編集したものです。

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歴史街道編集部


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