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統帥権⼲犯問題と憲法改正反対―「⼤⽇本帝国」の失敗

2018年08月13日 公開

瀧澤中(作家、政治史研究家)

本記事は、瀧澤中著『「⼤⽇本帝国」失敗の研究【1868-1945】』(PHP⽂庫)より⼀部を抜粋編集したものです。

旭日旗
 

ロンドン軍縮條約は、⽂字通り軍縮のための條約である。

軍縮には⻑所・短所、2つの側⾯がある。

⻑所は、なんといっても財政的な問題である。

軍備にかける予算を減らすことで、他の分野に予算を回したり、あるいは、海軍で⾔えば「建艦競争」をやめることで⼈材育成に予算を振り向けることも可能になる。もちろん、平和にも寄与する。

短所は、国防上の問題。軍備は無条件に減らせばいいものではない。

軍備はお⾦がかかるから減らせばいい、と単純思考になれば、軍は責任を持って国を守ることが難しくなる。また、装備の不備は兵⼠⼀⼈ひとりの負担を増すことになる。結果、⼗分な国防はなし得ず、国⺠への危険が逆に増す。

財政上の⻑所を活かしながら、国防を全うする道はないのか。

ある。それが、各国の間で〈同時に進める〉軍縮ということになる。

現代でも時々、「⾃国の軍備を放棄すれば相⼿も⼿を出さない」的な、ユーモラスな議論があるが、筆者はそれに与しない。互いに⾏うから軍縮は意味がある。⼀⽅的な軍縮は、単なる服従でしかない。

互いに減らす。

ここが、昭和の初めに起きた「統帥権⼲犯問題」の⼀つの要因でもあった。

先に、ロンドン軍縮会議について簡単に述べておきたい。

ロンドン軍縮会議は昭和5年、イギリスのロンドンで⾏われた海軍の軍縮会議である。参加したのは⽇本をはじめイギリス、アメリカ、フランス、イタリアの5ヶ国。⽇本の全権⼤使は、元⾸相の若槻禮次郎である。軍縮の対象は、海軍の補助艦艇(巡洋艦や駆逐艦、潜⽔艦)に対する制限であった。

会議の前、帝国海軍としては「対⽶七割」というのを最後の妥協点にし、それ以下であれば、国防の責任を負えないということになった。

話し合いは3ヶ⽉に及び、結局⽇本は、「対⽶六割九分七厘五⽑」という線で妥結した(重巡洋艦は対⽶6割にとどまった)。

これに反発して、当時の海軍軍令部⻑・加藤寛治⼤将は帷幄上奏(天皇に直接意⾒を申し上げる)を策し、辞職する騒ぎになる。

当時の野党・政友会は、濱⼝雄幸内閣が憲法に定める天皇の⼤権(統帥権)である兵⼒量を勝⼿に決めた、という点を衝いて攻撃。つまりは、濱⼝内閣は憲法違反をした、というのである。俗に⾔う「統帥権⼲犯」問題である。
 

⼤⽇本帝国憲法には存在しない「統帥権の独⽴」という⽂⾔

「統帥権」はポイントになるので、簡単に説明したい。

戦前、軍に関することは、(1)軍令と(2)軍政に⼤きく分けられた。

(1)軍令は、軍の作戦、⽤兵にかかわるもの。
(2)軍政は、軍の⾏政、つまり予算や⼈事といった分野を指した。
(1)軍令は、陸軍では参謀本部。海軍では海軍軍令部。
(2)軍政は、陸軍は陸軍省。海軍は海軍省。

話がややこしくなるので、いったんここで区切って、質問をしたい。

海軍の艦艇がどれくらい必要であるのか、というのは、軍令(海軍軍令部)か軍政(海軍省)か。

予算は海軍省が司るが、どれだけ艦艇が国防上必要か、となれば、海軍軍令部の範疇にもなる。

こういった軍内部の権限のほかに、⼤⽇本帝国憲法の縛りもあった。

第⼗⼀條には、「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」、とあり、

第⼗⼆條には、「天皇ハ陸海軍ノ編制及常備兵額ヲ定ム」、とある。

統帥権は、第⼗⼀條にあるように作戦や⽤兵は天皇の⼤権であり、それを⾏うのは陸軍では参謀本部、海軍では軍令部、ということであった。

ところが、第⼗⼀條を⾒ても第⼗⼆條を読んでも、統帥権の「独⽴」という直接的な表現がない。統帥権(軍の作戦や⽤兵)は、内閣とは別の独⽴したものである、というのが統帥権の独⽴なのだが、憲法の條⽂を普通に読むとわからない。

統帥権と第⼗五條にある爵位や勲章などの授与以外は、担当の⼤⾂の副署が必要であり、つまり内閣の輔弼(内閣が天皇をお助けする)を受ける。もっと平たく⾔えば、内閣の⽅針に天皇が反対することは、法的には難しい仕組みであった。統帥権と栄典授与をのぞいて。

なぜ、「統帥権の独⽴」という⾔葉が、⼤⽇本帝国憲法には存在しないのか。

それは、憲法がつくられた明治22年(1889)の段階ですでに、作戦や⽤兵に関しては天皇直隷で参謀本部や軍令部が⾏っていたからにほかならない。憲法をつくった者たちは、所与のこととして統帥権の独⽴を考えたのである。

ややこしい話だが、要は、統帥権の独⽴は認めるものの、いったいどこまでが統帥権の範囲なのか、それが明確になっていないために起きたのが、ロンドン軍縮條約当時の問題なのである。

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