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行ないは自分が、批評は他人がする―勝海舟の人生訓



2018年08月15日 公開

童門冬ニ(作家)

勝海舟

※本記事は、童門冬二著『勝海舟の人生訓』より一部を抜粋編集したものです。
 

行蔵は我に存す。毀誉は他人の主張、我に与らず

この言葉は、勝海舟の全思想を表わしている。彼はこういう態度で自分の生涯を生き抜いた。この言葉を口にしたのは、具体的にはつぎのような事件があったからだ。

彼は徳川幕府の終戦最高責任者でありながら、その後明治新政府に参加した。しかも、それも平職員としてでなく、海軍大臣や枢密顧問官にもなった。こういう勝の生き方を見ていて、学問一途に走った福沢諭吉は、『やせ我慢の説』という本を書いた。その本で、
「二君に仕えた幕臣」
の典型として、勝海舟と榎本武揚とをとりあげた。そして、この『やせ我慢の説』を二人に贈った。贈っただけでなく、
「ご感想をおもらしいただきたい」
と添え書した。榎本は、福沢のこの申し出に実に懇切丁寧な答え方をした。しかし、こういう答えは長ければ長いほどどこか言いわけじみてくる。榎本の回答も言いわけじみていた。勝は何も言わなかった。黙殺した。そして、一人で、この行蔵は我に存す……という言葉を呟いた。
 

二者択一では済まないこともある

勝にとって、福沢の言っていることはよく分かる。しかし、勝の立場に立てば、福沢の言うような生き方は不可能であった。福沢の言うのは、やはり、
「白か黒か」
つまり、
「勤皇か佐幕か」あるいは、
「天皇政府か徳川幕府か」
を選ぶという意味だ。それは勝にはできなかった。何故なら、勝は、天皇政府か徳川幕府かという次元で政治を考えていなかった。日本の政治と、日本の国家という次元ですべてを考えていた。彼にとって必要だったのは、外国と堂々と渡り合える強い日本国家を創り出すことであった。その能力が徳川幕府にないと見たから、
「日本における共和政府の樹立」
という構想をもった。したがって、彼は徳川家の家来でありながら、既にそういう家来意識を捨てていた。むしろ、日本国家の一員であり、日本国民だという意識の方が強かったのである。この発想は、彼が咸臨丸でアメリカに行った時に、アメリカで学んだものであった。

アメリカで彼が見たものは、四年毎に選出される国家元首の姿であった。大統領選挙である。しかも、国民によって選ばれたこの大統領の子孫が、今どういう暮らしをしているのか、国民は関心をもたなかった。アメリカに行った時、勝は福沢諭吉といっしょにアメリカ市民にきいた。

「ワシントン大統領の御子孫は、今どうしておられますか?」

しかし市民達は、
「そんなことは知らない、関心もない」
と答えた。これには、勝は一驚した。大統領といえば、日本では徳川将軍に相当する。将軍様の子孫が、今どうしているかは、普通の人間であれば誰でも知っていた。それを、アメリカの市民は、知りもしないし、また関心もないという。

勝が、さらに驚いたのは、議会であった。議場の、
「日本の魚市場のような」
論争のやかましさは、江戸城の奥で老中達がひそひそと声をひそめて話し合う光景とは、まったく違った。しかも、その議場で論争した論敵同士が、いったん議場を出ると、今度は、実ににこやかに、肩を叩きあって談笑するのだ。この光景は、勝海舟に、
「民主政治」
の実態を否応なく教えた。これは人間が到達し得る最も高い次元だ、と彼は考えた。

日本に戻ってきた彼は、江戸城に帰国挨拶に行くと老中にきかれた。
「アメリカで、お前はどういうことを学んだのか?」
勝はこう答えた。
「アメリカでは、無能力者が、世襲制で要職に就くという例はまったくありません」
どんな馬鹿でもこれが痛烈な皮肉だということは分かる。老中達は怒り、
「この無礼者め」
と叱りつけた。
 

己の信念を貫け! 福澤諭吉「やせ我慢の説」を黙殺

勝の、この言葉は、そういう公的、私的な考えに基づいている。だから、勝といっしょに咸臨丸でアメリカに行った福沢諭吉が、ウェブスターの英語辞典を買い込むような開明思想をもちながら、いまだに、古い武士道に則った、「主君」だの「忠臣」だのということにこだわっていることが、逆におかしかったのである。しかし、福沢の意図は、ある意味では、当時の日本国民の世論を代弁していた。勝の姿勢をにがにがしく思っているのは、決して福沢一人ではなかった。福沢は、そういう世論を代表して、勝海舟にその疑問をつきつけたのである。が、勝は突き放した。

現在のような、価値の多元化多様化社会で、人々は、それぞれの価値観をもつ。それぞれの価値観をもつということは、自分の考えで他人を見るということである。私達は、この他人の視線に苦しめられている。その中に道理があることもある。従わなければならないこともある。が、それがすべてではない。他人の言うことが、必ずしも正しいとは限らない。どんなにたくさんの人間が同じことを言おうとも、私達は、自分自身にもっと自信をもたなければならない時がある。そういう時は、この勝の言葉を思い出そう。そして、こう呟こう。

「うるせえや、こっちはやるっきゃねえんだ」

勝海舟は、福沢諭吉の『やせ我慢の説』に対しては、まったく無言を保った。が、ただ、福沢諭吉については、こういうことを言っている。

「あの男は、維新の時も本所あたりに隠れていた。弱い男だからね。それで、後から何とかかんとか言うのさ。あれに福地桜痴ね、皆、後で何とか言うのさ。諭吉は、それでいながら相場なんかやって、金儲けをするような男だ」

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