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天丼 銀座 天國~池波正太郎の江戸を食べ歩く

2018年10月01日 公開
2019年06月18日 更新

山口恵以子(作家)

銀座 天國の天丼

今なお、多くの人に親しまれ続けている池波作品。『鬼平犯科帳』や『剣客商売』は、小説で広く読まれるだけでなく、CS放送ホームドラマチャンネルで放送されて人気を博してもいる。ここでは、その池波さんの作品を敬愛する作家が、池波さんが好んだ江戸の味を訪ね、思いを馳せる。

銀座天国の天丼
B丼(天丼) 写真:遠藤宏

『鬼平犯科帳』には、天ぷら蕎麦がよく登場する。作家の池波正太郎が、大の天ぷら好きだからなのだろう。そんな彼が、銀座に出た折にふらりと立ち寄り、食べていたのが「銀座 天國」の天丼。海老やいかがたっぷり載った、ごま油の香り漂う天丼は、銀座散策の後にぴったりの逸品。
 

幕末に登場した天ぷら屋

天ぷらは蕎麦、寿司、鰻と同じく屋台から始まった。いずれも江戸を代表する料理であり、時代が下ると、共に屋台で食べるファーストフードから店舗で食べる料理へと変わっていった。そして、一部の店が高級化したところも軌を一にしている。

そんなわけで、池波正太郎の小説にも「天ぷら屋」は登場するだろうと思っていたら、これが出てこない。店舗はもちろん、屋台も出てこない。蕎麦屋で天ぷらを注文したり、天ぷら蕎麦の形では何度も登場するのだが。

不思議に思って調べたら、実は天ぷらを揚げる火力と高温の油に火事を懸念した幕府が、店舗での営業を禁じていたのだった。蕎麦屋で天ぷらを提供できたのは、きっと表看板でなかったことと、蕎麦屋には豊富な水があるので黙認されたからではあるまいか。

天ぷら屋が店を構えるのは、幕末の安政期(1854〜60)のこと。まだ禁止令は生きていたものの、当時、幕府の権威はガタ落ちで、あっさり無視されてしまったらしい。

高級店が何軒も現われた。他店との差別化を図るため、衣に卵(当時は高級食材)の黄身だけを使って「金麩羅(きんぷら)」、白身だけを使って「銀麩羅」、その他にも「珍(ちん)麩羅」など、各店、名称にも凝った。
 

初めての給料は銀座で

さて、池波さんの外食事始めは、ほとんど母方のお祖父さんの手引きによる。

飾り職人だったお祖父さんは趣味の広い人で、外食はもちろん、芝居見物・相撲観戦・美術鑑賞等々、小遣いさえあれば家にじっとしていなかったという。幼い池波さんの手を引いて、不忍池(しのばずのいけ)の蓮の花を見にいくエピソードなど、心の豊かさが伝わってくる。

そのお祖父さんはよく浅草「中清(なかせい)」の天ぷらを食べに連れて行ってくれたが、幼い池波さんはさして美味いとも思わず、「どうせ浅草で御馳走をしてくれるのなら、レストラン〔中西〕のカツライスか、チキンライスのほうがいい」(『日曜日の万年筆』)と、当時の気持ちをエッセイに綴っている。祖父の心、孫知らず。

そんな池波さんも、小学校を卒業して株屋に勤め、初めての給金で「天國」の天ぷら御飯を食べてから、天ぷらが好きになった。株券の書き換え手続きのため、丸の内の会社を自転車で回るときは、用事を早めに済ませ、銀座へ出て外食するのが楽しみだった。

「夏になると、八丁目の天ぷら屋〔天國〕へ行く。

そのころ、天國の天ぷら御飯もお刺身御飯も五十銭だった」(『散歩のとき何か食べたくなって』)

同じ値段の定食でも、器や盛り付けが上野や浅草とは違う小綺麗さで「やっぱり、銀座だなぁ……」と感嘆したそうな。

月曜になると、会社回りの帰りに、銀座通りにあった本屋「三昧堂(さんまいどう)」で好きな本を二、三冊買って天國に入り、パラパラ広げて見ながら「天ぷら御飯」か「お刺身御飯」を食べるのが、池波少年には至福の時間だった。

天國は明治18年(1885)、銀座三丁目に屋台店としてオープンした。店は繁盛し、大正13年(1924)には現在の銀座八丁目に出店した。

当時の銀座八丁目は、今は高速道路が通っている場所に汐留川が流れ、川に沿って行くと築地の魚河岸があった。河岸へ通う男たちに、天國のボリュームたっぷりの天丼が大好評だったという。

今は高級お座敷天ぷらも人気の天國だが、池波さんが愛したのは、昔ながらのリーズナブルな庶民性だった。来店して必ず注文するのは、ABC三種類の天丼のうち「B丼」。お酒は菊正宗の燗か冷やと決まっていた。

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