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山本五十六と楠木正成――人を動かすリーダーの条件

2018年11月26日 公開

童門冬ニ(作家)

山本五十六、楠木正成
 

激しく戦争に反対しながら、最も勇敢に戦う

昭和16年(1941)の9月初旬、日本政府首脳部は、関係が悪化していたアメリカ、イギリス、オランダに対して戦争の決意をかためた。そんな緊迫した時期の9月12日、総理大臣近衛文麿は、自分の私邸である東京都杉並区荻窪の荻外荘に、連合艦隊司令長官の山本五十六を密かに呼んだ。

そして、自分の考えを告げ、

「非常に悪化した国際関係を何とか打開するために、自分は直接アメリカ大統領に腹を割って相談をしにいくつもりです。しかし、もし日米交渉がまとまらなかった場合、海軍の見通しはどうですか?」

と聞いた。

このとき山本は、

「開戦になって、ぜひわたしにやれといわれるならば、1年や1年半は存分に暴れてごらんにいれますが……」

と答えた。

「その先はどうなりますか?」

「2年、3年先のことはわかりません。しかし、大艦隊の洋上決戦などは起こらないで、戦争は長期ゲリラ戦となる公算が大きいと考えます。もし、戦争となったら、わたしは飛行機にも乗るし、潜水艦にも乗ります。太平洋を縦横に飛びまわって決死の戦をするつもりです。総理もどうか、生易しく考えられず、死ぬ覚悟で交渉にあたっていただきたい。……外交にラスト・ワードはないといいますから」

と鬼気迫る表情でいった。

山本がこのとき考えていたのは、やはりアメリカと戦争をしてはならないということだった。どんな状態になっても希望を捨てないで、最後まで話しあってもらいたいと願っていた。ただ、戦争になったときは、山本は何といっても海軍軍人なのだから精一杯戦うが、一年か一年半暴れて、戦線が日本側に有利に展開していた場合は、たとえばインドなどを仲介者にして、早く講和の道を開いてもらいたい、という願いがあった。

近衛は山本のこういう切実な願いをきちんと理解しなかった。むしろ、近衛は、

(勝てるかもしれない)

という幻想を抱いてしまった。

南北朝の昔、後醍醐天皇は鎌倉の北条武士政権に「主上謀叛」と呼ばれる反乱を起こした。このとき、笠置山に行幸し河内の豪族である楠木正成を呼んだ。正成に、合戦の予想を聞いた。このとき正成はこう答えた。

「合戦には、武略と知略があります。武略というのは、戦う軍勢の数や、装備の優劣をいいます。知略とは、謀による戦いであります。鎌倉の北条軍を向こうにまわして、武略で戦ったのでは到底かないません。しかし、知略で戦えばかなり長い間もちこたえられると思います。どうしてもというおおせならば、わたくしは知略で北条軍と戦いましょう」

この正成の答え方は、どこか山本五十六の答え方に似ている。

正成はさらにこういった。

「たとえ、帝にお味方する軍勢が次々と討ち破られたとお聞きになっても、もしこの正成一人、まだ健在だということをお耳にされたならば、やがては再び帝のご運が開くものとお考えください」

かなりの自信だ。しかし、いったん九州へ追い落とされた足利尊氏軍が、再び20万の軍勢を率いて都に攻め上ってきたとき、正成はその迎撃を命ぜられて、こう諫言した。

「かつてとは違い、いま南の朝廷に対し、日に日に地方武士や人民の期待が薄れております。このさいは、思いきって足利尊氏が敵とする新田義貞を朝廷から追放し、逆に足利尊氏を朝廷に迎えるべきでしょう。そうすることによって、地方武士の期待に大いに応えられることと思います」

後醍醐天皇はおそらく楠木正成のいうことを正確に理解したはずだ。が、間に立った公家たちが承知しなかった。正成を卑怯者と罵った。正成はやむをえず、万事休すと覚悟を決め、勝てる見込みのない湊川の戦場に赴いた。もちろん、死ぬつもりだった。

この辺の正成の考えも、山本五十六に似ている。五十六は、あくまでも対米戦争に反対であり、またドイツ・イタリアとの三国同盟にも反対だった。

「ドイツ・イタリアと三国同盟など結んでしまえば、もしドイツがアメリカに宣戦布告した場合、日本も一緒に戦わなければならない。そんな馬鹿なことはできない」

と主張していた。

楠木正成が後醍醐天皇に対して、南朝で幅をきかせている新田義貞を追放し、逆賊の立場に立つ足利尊氏を朝廷に迎えいれたほうがいいというのは、山本五十六が、日本がまだ優位な間にさっさと講和したほうがいいといったのと同じだ。

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