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遠山金四郎~強引な上司とイエスマンのはざまで活躍し、名を成した中間管理職

2019年01月11日 公開
2019年01月11日 更新

童門冬ニ(作家)

お白洲
 

上司である水野忠邦への疑問

遠山金四郎は、天保の改革のときに江戸町奉行を務めていた。「江戸町奉行は高級職で中間管理職ではない」という意見もあるだろうが、この職の身分は旗本であり、上司に重役としての老中がいるので、やはりミドルと見ていい。

部下も与力25人、同心120人の計145人だから、いまの部長か大きな課の課長のようなものだ。

上司は老中首座で浜松藩主の水野越前守忠邦だ。遠山が北町奉行だった頃、同僚の南町奉行は鳥居甲斐守耀蔵といった。鳥居は幕校・昌平坂学問所の頭取・林大学頭述斎の息子だった。したがって、コチコチの儒学信奉者である。

改革を実行する水野忠邦は、自分の志を「青雲の志」と唱え、

●日本国民の精神の健全化
●徳川幕府の権威の回復
●江戸という大都市の機能純化、すなわち江戸を政治都市として性格をしぼる

などを柱にしていた。

そのために、

●江戸から歓楽機能の追放
●日本全国の商業機能の低下
●江戸でブラブラしている地方からの若い遊民をUターンさせ、農業に従事させる
●江戸や大坂周辺の土地を大名に返納させ、幕府の直轄地とする

などの政策を考えていた。

当然、市民生活にも衣食住にわたって細かく干渉した。一言でいえば、贅沢を禁止し、衣類、食物、住居の全面にわたって、厳しい禁止令を出した。食べ物でもいわゆる「初物」といわれる旬のものはすべて禁じられた。そのため、時の将軍家慶でさえ、好物だった初物の芽しょうがが食えなくなったという。

「水野の改革は、わたしの食事にまでおよんだか」

家慶はそういって苦笑した。

江戸時代の幕藩制度は、いまでいえば各大名家の地方自治がある程度認められていたので、水野が心はやらせて青雲の志を実現するといっても、その政策が直接およぶのは何といってもお膝元の江戸の町である。

江戸の市政や訴訟を扱うのは江戸町奉行の所轄だが、仕事は1カ月交代に行なわれた。今月南町が当番なら来月は北町が当番になる。だからといって、非番のときは遊んでいるわけではない。前月にやり残したことを処理する。

遠山金四郎はあまりにも厳しく「天下おののくばかり」といわれた水野の改革に、次第に疑問を持ちはじめた。かれは江戸っ子だから、人間の暮らしについてこう考える。

「生きていく上で、人間には楽しみが必要だ。楽しみというのは、いってみれば手綱の緩みのようなもので、これはあまりピンと張っていたのでは牽かれていく牛や馬でさえ嫌がる。それに、あまりにも綱をピンと張っていれば何かあったときに切れてしまう。そうさせないためにも、綱にはいつも緩みが必要だ。人間の暮らしも同じだ」

上司である水野忠邦の改革政策は、すべて人間生活をピーンと鋼の線のように張れということだ。しかしそんな緊張状態ばかり続けていたら必ず線は切れてしまう。そうなれば、せっかく正しい理念をたくさん掲げた改革であっても、一般の市民には嫌がられる。挙げ句の果てに水野は憎まれるようになる。

(部下として上司をそんな立場に追いこんではならない)

と遠山は考えていた。

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