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西郷隆盛の名言~南洲翁遺訓に学ぶ「リーダーの心得」

2018年12月02日 公開
2022年02月04日 更新

童門冬ニ(作家)

西郷隆盛

英雄とか、英傑とかいわれた人たちは、よく言行録を残しているが、西郷隆盛の場合にはそれがない。福沢諭吉や勝海舟など同時代人が、膨大な自伝とか、言行録を書いたにもかかわらず、西郷はけっしてそういうものを残さなかった。彼にすれば、そんなことをするよりも、自分自身がふだん言っていることや、生き方そのものが、言行録だと思っていたのかもしれない。

しかし、現実には『西郷南洲遺訓』という本が残っている。いま書いたように、西郷自身が書き残したものではない。庄内藩(山形県鶴岡市を中心にした旧酒井家の支配地)は、戊辰戦争のとき新政府に敵対したが、西郷のおかげでたいへん寛大な処分を受けたというのでみんな感謝していた。明治初年のころ、そんな気持ちを持った庄内藩士が何人か鹿児島に西郷を訪ねて行った。このころの西郷は、小さな家にこもって、犬を相手にしながら土を耕していた。一介の農民生活を送っていたのである。庄内藩士たちは、そのまま西郷のそばで起居を共にし、西郷の言うことや行うことを見聞きし、西郷から何かを学ぼうとした。そのとき、西郷の口から出た言葉を綴ったものが、『西郷南洲遺訓』である。

遺訓は、全部で41あり、追加がいくつかある。ここでは、その中からビジネスリーダーの参考になるようなものをいくつかピックアップし、現代風に書き替えてみた。

西郷の言葉をじかに聞いた人たちの文章だから、現代風にアレンジするということは、かなり心苦しいことだが、このへんは大目に見ていただくとして、西郷語録のエッセンスをわかりやすく紹介してみようと思う。
 

名言―為政者の心得

リーダーは引き際が肝心

「政治というものはもともと天の道に従って行うものだ。少しでも私情や私欲を挟んではならない。だから、自分以上に民のためになるというような賢人が出てきた場合には、すぐ自分のポストを譲るくらいの気持ちが必要だ。中国の古い言葉にも『徳が懋(さか)んになれば官も懋んになる。功が懋んになると賞が懋んになる』と書いてある」

この言葉は、政治だけに限られたものではなかろう。一般の企業についてもいえる。つまり、「人を導く立場にある人は、自分以上にリーダーシップの優れている人を発見したら、潔くその人にポストを譲るべきだ」というのだ。

昔、中国の思想家に孟子という人がいたが、彼はこういうことを言った。

「リーダーには必ず徳が必要だ。徳がなくなった場合には、潔くそのポストを譲るべきである。そして、そのポストの交替が平和裡に行われることを禅譲という。しかし、徳がなくなったにもかかわらず、いつまでもそのポストに恋々としがみつくような者がいたら、そういう場合は実力を行使しても、その徳のなくなったリーダーを追放することができる。これを放伐という」

つまり、西郷隆盛はこのへんのことを言っているのではなかろうか。特に彼が鹿児島から見た中央政府の高級官僚たちは、やたら贅沢な生活にふけり、そしてそのポストにしがみついている。そういう人たちを彼はいやというほど知っていた。だから、こういう厳しい叱声を発して、彼なりの思いを告げたのではなかろうか。

が、現実問題としては難しい。パーキンソンの法則ではないが、人間と組織、あるいは仕事と組織の関係は、理屈どおりにはいかない。パーキンソンは「仕事というのは人がいれば必ず発生する。けっして減りはしない」と言った。そのとおりだ。権力も同じだ。だからいったん権力のうまみを知ってしまうと、悪魔の美酒に酔いしれたような状態になり、なかなかポストを手放そうとしない。そのことがいかに民を苦しめているかということを、西郷は鹿児島の一角から土を耕しながら見つめていたのである。その思いがこの言葉になったのだと思う。
 

リーダーたる者は、人民の模範となれ

「万民の上に位置する者は、己を謹んで、品行を正しくし、贅沢をやめて、勤倹節約に努め、職責に努力して、人民の模範にならなければならない。そして、民衆がその働きぶりを見て気の毒だなあと思うようでなくては、絶対に政令は行われない。ところがいま、草創の始めに立ちながら、自分の住んでいる家を飾り、着るものを贅沢にし、また美人を囲い、やたら財テクに励んでいる者が多い。こんなことでは維新の効果はとうてい遂げられない。結局、いまとなっては戊辰の義戦も偏えに私欲を充たすために行われたものではないか、というふうになってしまう。それは天下に対しても、また戦死者に対しても面目のないことである」

これは政治家だけではない。一般にリーダーと呼ばれる人たちにも全部通用する言葉だ。つまり、人の先を歩む者は、自分の身を厳しく引き締めなければいけないということだ。そうでなければ、どんな立派なことを言い、あるいは立派なことを行っても、それが台なしになってしまう。現代でも、やはり口先だけでいくらいいことを言っても、その行いがまったく裏腹に相反するようなことをしていれば、そのリーダーに対する敬愛の念は失われてしまう。財界でもかつて、自分の身を慎ましくし、公共のために努力しようと努めた人がたくさんいた。そんなことをふっと思い出す言葉である。
 

子孫のために財テクは行わない

「人間というのは、苦しい経験を何度も味わってこそ、志が堅くなる。男たるものは、瓦となって長生きするよりも、玉となって砕けるべきだ。そういう時がある。私の家の家訓を知っているか? 子孫のために絶対に美田を買わない。つまり、財産は残さないというのがそれだ」

これは西郷隆盛の遺訓として最も有名なものだ。すなわち「児孫のために美田を買わず」という言葉で広く知られている。しかし、西郷は、その前提として、特に男の生き方を規定している。それは、人間は何度も苦しまなければ駄目だということだ。のうのうと育って、エリートコースに乗り、いつも日のあたる場所ばかりを歩いた人間には、本当の人間の苦しみはわからない。また、その志も脆弱である。おそらくこれは、彼が二回の島流しにあって、あるいはその前に、島津斉彬のために京都工作をしたが失敗し、同志であった月照と一緒に鹿児島に逃げて、しかも海の中に飛び込んだ経験などを、あれこれ思い出しながら語った言葉であろう。

そして、そういう苦労をした果てに、志が堅くなったなら、やはりがらくたとなって長く生き続けるよりも、思い切って玉となって砕けたほうがいいという考え方が貫かれている。しかし、西郷自身はけっして玉となって砕けたわけではない。彼の言うのは、何か大きなことをやるには死ぬ覚悟が必要だということだろう。玉砕を恐れずに立ち向かっていけば、道は必ず開けるということだ。彼はやはり、そのとおり何度もそういうことを実行した。その経験を語っているのだ。そして彼は、子孫のために財産を残さないと言いながら、聞いている人たちに対して、「もしこの私が言葉に違うようなことをしたら、あなた方はさっさと私を見放してください」と言い切っている。

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