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西郷隆盛の名言~南洲翁遺訓に学ぶ「リーダーの心得」

2018年12月02日 公開
2022年02月04日 更新

童門冬ニ(作家)

小人にも必ず取り柄がある

「人材を採用するときに、あまりこの男は君子だとか、あるいはこの男は小人だとか、というモノサシを厳格にあてすぎると、かえって害を引き起こす。なぜなら、人間というのはこの世が始まって以来十人に七、八人は絶対に小人だ。したがって君子ばかり探していたのでは、小人の働き場所もなくなるし、また人材不足を嘆くことにもなる。そこで小人の実体をよく見て、必ずその長所を探し出し、適材適所の配置をすべきだ。小人もある種の才能を持っているのだから、それを生かして使うべきである。私の師であった藤田東湖先生がおっしゃった。『小人も程々の才芸があってたいへん便利な存在だ。用いなければならない。しかし、そうかといって、小人にたいへん重要なポストを与えれば、今度はその組織がひっくり返ってしまう。つまり小人には限界がある。そこを見誤ってはならない。だから、けっしてトップ層に用いてはならない』と」

この言葉は、西郷隆盛の適材適所という人材発見の考え方を述べると同時に、また、いわゆる小人といわれる存在に対する深い愛情を示している。つまり、人間に対する選別主義はいけないと彼は言っているのだ。どんな人間にも取り柄はあるのだから、その取り柄を発見して活用することが大事だと言っている。

得てして、先を急ぐリーダーはそういうことをしない。できるやつとできないやつをはっきり区分けをして、できる人間だけを近づけ、できない人間を遠ざける。あげくの果ては、できない人間を馬鹿にしたり、あるいは人事異動でとばしたりする。しかし、本当をいえば、そのリーダーのほうにも問題があるのだ。つまり、小人が持っている才能やいいところに気がつかない。それが発見できないくせに、こいつは駄目だと決めつけてしまう。そういう人間がいかに多いことか。西郷はそういうことを言っているのだろう。つまり、小人を用いないのは、用いないリーダーのほうに欠陥がある。小人といえども必ずなんらかの才幹を持っているので、発見できないというのは、発見できない側がもっと振り返る努力をしなければいけない、と戒めているのだ。

このことは、よくいわれるように、部下を評価するときに、「何をしているか」「何をしたか」だけではいけない。「何ができるか」「何をしたがっているのか」ということまで、温かく見極める必要があるだろう、という論理と同じことだ。西郷はそういう温かいモノサシを持っていた。
 

人を騙すよりも人に騙されろ

「事を行う場合には、正道を踏んで至誠を推し進め、けっして詐謀を用いてはならない。人間の多くは、仕事がうまくいかないで障害にぶち当たると、よく詐謀を用いてこの障壁を突破しようとする。しかし、一時的にはそういうことが成功しても、必ず揺り返しがくる。そして事全体が崩れてしまう。正しい道というのは非常に遠回りのように思えるけれども、先行きはやはり成功を早めるものだ」

別に解説を加える必要はなかろう。西郷隆盛自身の人生観として、彼は人を騙すのが嫌いだった。騙すよりも騙された。そして、そのほうが人間として幸福だと思っていた。それは彼の頭の中には常に天という存在があったからだ。人は騙せても天は騙せない、ということを彼は知っていた。だから、人間を騙すということは天を騙すことになる。けっしてそういうことはしてはならない、と彼自身は自分をそういうように厳しく律していた。

しかし、こういうことは西郷だからこそできることであって、現代のように煩わしく、また、人間の処世術が事細かにマニュアル化された社会では、なかなか行えない。だからといって西郷のこの言葉は、やはり一面の真理を突いている。そういう生き方をしている人も多い。しかし、そういう生き方をしている人は、えてして組織内でも馬鹿をみることが多い。西郷は、たとえ一時的には馬鹿をみても、どこかで天が見ている、迂遠の道のように思えるだろうが、人を騙さないで職務に精励すれば、必ずいい報いがあるだろうと慰めてくれているのだ。現実にいい報いがあるかどうかは、これまた難しい。というのは、最近の世の中はそういういいことや正しいことをする人を、どちらかといえば敬遠し、煙たがるような風潮がしきりだからである。悲しむべきことだ。
 

名言―政治・外交の要諦

「和魂洋芸(才)」の精神を持とう

「いま、いたずらに洋風を真似たり取り入れようとする風潮がしきりだが、これは考えものだ。やはり『和魂洋芸(才)』の気概を持つべきである。すなわち、日本のよさを本体に据えて、その後、ゆるやかに欧米のいいところを取り入れるべきだ。ただいたずらに欧米風に日本のすべてを変えてしまえば、肝心な日本の本体まで見失ってしまう。ついには、列強の言うがままになってしまうだろう」

この言葉は、西郷がおそらく横井小楠や勝海舟、あるいは坂本龍馬たちから教わった「和魂洋芸(才)」の精神を、相変わらず忘れていなかったことを物語っている。明治になってから新政府の方針は「ヨーロッパに追いつけ、追い越せ」だった。もちろん、そういうことを言い始めた大久保利通たちは、十分に外国を見極め、日本のよさを西郷の言う本体として残したうえで、欧米の優れた科学知識や技術を活用すべきだと考えていた。ところが、日本人というのは短絡する。ヨーロッパに追いつけとか、追い越せとか言われると、それは、まるごと向こうのやっていることを取り入れることだと受け止めてしまう。そういう風潮を見て、西郷は実に苦々しく思っていたのだろう。

このことは、現代のビジネス界にも言えるのではなかろうか。日本のよさを失って、ただいたずらに欧米の真似をしていても駄目だということだ。破壊しなければ駄目だといわれる日本式の経営にも、改めて学ぶ点がたくさんあるのだということを、肝心の日本側が見失っているとは、まことに残念なことだ。その意味では、西郷のこの言葉は現代にも十分に通用する警告である。
 

開発には、「なぜか」という問いに答えなければならない

「人間がその知恵を開発するということは、道がなければ駄目だ。電信をつなぎ、鉄道を敷き、蒸気仕掛けの機器を造る、こういうことは確かに人の耳をそばだて、目を奪う。しかし、なぜ電信や鉄道がなくてはならないのか、ということをきちんと説明しなければ、国民はいたずらに開発に追い回されるようになる。まして、みだりに外国の盛大を羨んで、利害得失を論じないで、家屋の構造から、玩具に至るまで、いちいち外国の真似をして、贅沢な風潮を生じ、カネを無駄遣いしていれば、日本の国力は疲弊してしまう。それだけでなく、人の心も浮薄に流れ、結局日本は身代限りをしてしまうだろう」

これは、前の言葉とそのままつながるので、解説は必要ないだろう。
 

欧米列強の進出は許せぬ

「文明とは、『道』が広く行われることであって、別に宮殿の荘厳さや、衣服の美麗さや、外観の浮華をいうのではない。いま、世の中でいわれている文明とは、いったい何なのかよくわからない。自分はかつて、西洋は野蛮だと言ったことがある。聞いた人が怒って、なぜ西洋が野蛮なのかと聞き返した。自分は、それは西洋にはいま道がないからだ、と答えた。なぜ道がないかと聞くから、もし『道』があって、本当の文明人だったら、開発途上の国々に対して、あれほどむごく残忍なことをするはずがないと答えた。その人は、ついに黙ってしまった」

これは、おそらく当時の欧米列強が中国やアジアの諸国に対して行っていた植民地政策を指しているのだろう。特に、イギリスが中国に対して仕掛けたアヘン戦争の残禍を言っているのである。

このへんは、西郷はけっして国粋主義者ではなく、やはり前に書いた本体をきちんと捉えたうえで、技術や、応用面に外国の優れた科学技術を取り入れるべきだという限定活用の考えを持っていたことを物語る。
 

あまり財政一辺倒に傾くと、国民は悪賢くなる

「よく、財政が逼迫すると、必ずそういう面に才能を持つ人間を登用する。そして、理財に巧みな連中に、能吏としていろいろと民を虐げる手段を考えさせる。そのため、民は苦しんで、これから逃れようといろいろ知恵を働かせる。つまり、民のほうも悪賢くなるのだ。こうなると、単に、民が狡猾になるだけでなく、官と民とが不信感を持ち、ついには仇敵になってしまう。カネがなくなったからといって、ただ悪知恵がある小賢しい人間を、能力のある者だとして登用するのも考えものだ」

この言葉は、別に役所だけに限ったものではあるまい。企業組織においても同じことがいえる。財政逼迫に陥った企業で姑息な手段を駆使して、単にバランスシートの貸方・借方の赤字を消せばいいというような経営方法のみに重点を置くと、社員全体が萎縮してしまって、いい企画も出なくなるし、結局は、客の信頼も失ってしまう、ということになるだろう。
 

外交の基本は、誠意を尽くすことにある

「外国との交際は、正しい道を踏み続けることにある。それでも、聞き入れられない場合は、国が倒れてもやむを得ない。ただ、相手国の強大さに萎縮して、うまくやろうというような処世術的外交は避けるべきである。そうすると、かえって侮られ、それまでの友好関係もくずれてしまう。心すべきだ。そして侮りが高じて、ついに彼の国に屈伏するようなことになってしまう」

これは、彼が前に言った「和魂洋芸(才)」の精神を重んじたように、あらゆることに「道」を重視している。つまり、正しい道を踏み続けて、それで国が倒れるのなら、そうなっても悔いることはないということだ。ビジネス界に当てはめれば、やはり渉外や、外交は、誠意をもって行うべきで、いいかげんなことを言って、その場限りの取引をすると、結局は信用を失って、客に見放されてしまうだろう。セールスに応用できる考え方である。しかし、現実には現在の企業が、セールスにおいて道を貫くということは非常に難しいことだ。結局は、そういう仕事に携わる人の人柄以外にはないからだ。

※本記事は童門冬二著『西郷隆盛 人を魅きつける力』(PHP文庫)より一部を抜粋編集したものです。

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