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山本五十六はほんとうに「戦艦無用論者」だったのか?~元・海軍中堅幹部たちが語る

2018年12月07日 公開
2022年08月09日 更新

海軍反省会

[証言録]海軍反省会 3
 

大砲をバカにしていたわけではない

土肥 これはですね、私の私見でございますけども、山本長官は私がGF(連合艦隊)の幕僚になりました直前だったと思いますが、なんか大和の教練射撃か戦闘射撃か何か知りませんけども、やった時に、初弾夾叉をした、4万何千メートルの初弾夾叉をした時に、これで勝てるね、と言われたという話を間接に聞いております。
それで、決してその、大砲をバカにしていらしたわけではない、と思います。

それからもう一つ、山本さんのために大変間違った記事が残っておりますが、兵棋演習を何遍やっても勝った例がないと、こう言うんですね、大学校で。
大学校の兵棋演習ってのは実力同等として、向こうが10でこちらが6でいつもやるんですから、これはもう多いほうが勝つに決まってるんです。
それで少ないほうで勝ってたというのは、余程その、戦術的の運用のまずい場合がアメリカ側が負けるという事で。アメリカと同等の同じような頭の学生がやるんですから、多いほうが勝つに決まってるんですね。
で、そういう事を山本さんがね、お分かりにならないはずはないと。
それが何でこの公式の戦史に、勝った例がないじゃないかというような山本さんの意見が載ってるかという所に、私は疑問を持っております。

それからもう一つ、この次の問題になるわけなんですが、池田清君辺りがいろんな事を書いてますが、その中で海軍が負けたと。当然負けるべくして負けたというような、馬鹿野郎共が、というような書き方、感じを受けるんですが。
これは考え方が間違ってると思いまして。
私はその、海軍の連合艦隊は、たとえ自分が兵力が少なくても戦して勝つ訓練をし、努力をしていたと思います。また我々もそのつもりでおりました。
で、その、なぜその、下手な戦を始めたのかというお叱りは、これは連合艦隊に関しては大変失礼な言い方で、山本さんに対しても失礼な言い方じゃなかろうかと。
国が戦をすると決めた以上、連合艦隊は戦をせざるを得ない。
やっぱり山本さんが俺は負けるから嫌だというような事を言えた立場じゃなかったと、こう思うんですが。

まあ、その辺の結論がですね、これから段々とこう、やってるうちに出てくるんじゃなかろうかと。

あの、私はね、こういう事を考えるんです。
あの、ミッドウェー海戦の時に、戦艦をたくさん連れていきながら、これを後ろのほうに置いておいた。
そうすると、我々海軍で習いました戦略戦術では、先制と集中なんですね。持ってる力を全部集めろと。それがある。戦術の原則であると教わっているんですが。
300マイルも500マイルも後ろにある戦艦なんてのは集中の原則にはならないんです。
それで戦艦一隻は、まあ、これは少し乱暴な議論ですが、大砲の弾の数から勘定からしますと、飛行機の攻撃力にすると1000機に相当する。
と、10隻の戦艦があるとすれば1万機の飛行機の攻撃力に相当するものを遊ばせておいて、そしてミッドウェー海戦で負けて、負けたのは僅か一握りの飛行機だけで戦しようとした所に日本海軍の間違いがあったと。
まあ、こんなようなおぼろげな感じを、ちょっと思ってるんですが。

新見 今の山本さんのね、戦艦無用論と言うのはね、僕はこういう意味じゃないかと思うんだがね。
山本さんのね、将来海上決戦計画ってのは戦艦からだな、航空部隊、海軍航空部隊に移るっていうような可能性を、僕は言うた事があると思うがね。
その事じゃないかな。
それは無用論じゃなくてね。

寺崎 いや、実際ですね、あの大東亜戦争が始まる時の連合艦隊戦策ですね。
あれはまず主力艦をもって、先制に一発やって、そして巡戦辺りで、高速戦艦ですね、あれで(敵主力を)主力艦のほうに誘致して、そしてやるとか。
あるいは航空は先制攻撃やって、一角を壊して、本当のあれはやっぱり主力艦の主砲で決戦をやると。
そういうような思想で書いてあるんで、実際やってみてですね、あと航空機のほうが非常な威力を発揮するというのは、ハワイ海戦とかマレー沖の海戦ですね、ああいう点で実証されたというのは本当だと思いますね。
これまでやっぱり、相当ウェートをですね、置いてる。

あれは随分渡辺(安次)参謀とかね、小澤(治三郎・兵37)三戦隊司令官が研究して、そして戦策を作られて、そしてこれでやろうというような事じゃなかったかと思います。連合艦隊の戦策。
だからそういう思想を山本さんも持っておる。それで主力艦も旗艦としておったんじゃないかと思いますね。

野元 だから、私見で僭越ですが、山本長官だけを批判するのでなくて、海軍全体の、行き方という事が問題に段々なっていくんである。
そうするとやっぱり、ここは戦争抑止力というものであった。国力を蓄えて、それで、国交、調整にいくのが本当であったという事。
だけど抑止力、抑止力とやってると、つい騎虎の勢いで、止まらないような事もあったのかもしれません。時間が切迫すると。
それだからもっと、少し初めのほうから、もっと10年くらい前からの事を考えなければいけないんじゃないかと私は思うんですが。
これは後からちょっとこう、意見を伺いたいと思う。

土肥 今のね、先ほどちょっと申し上げましたが、中山定義君が今度幹部学校の『波濤』という雑誌に出す論文を、主旨はですね、戦艦とか航空兵力とか言うけれども、これは準備を始めて10年経って初めて役に立つんである。
で、大東亜戦争が始まってすぐ航空だ、航空だと言った所で、実質的にはそう変わるもんじゃないというような事を書きたいと言っておりました。

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