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真珠湾攻撃は失敗だった?~元・海軍中堅幹部たちの述懐

2018年12月05日 公開
2022年08月09日 更新

海軍反省会

日本に勝ち目はない

松田 それで、その当時の私どもの結論としては、火事の山には行かないほうがどうやら良い。
海軍はもちろん陸軍も、相当の勝ち目をもって戦を続けていくが、この後はどうなるか分からんよと。
本当は、この次は日本は負ける。という事が言いたかったけれども、もう既に日本の軍部は開戦を決定している。そんな事を言ったら、まるで日本の基本政策に触れるから、それを穏やかに、二年後はどうなるか分からない、という事で、内閣の研究会を午前、午後にわたって各省の大臣、長官、大臣級ですね、代議員、それから総理大臣の近衛文麿さん。

ところが、総力戦研究所が弱音を吐く、と東条さんは見たらしいんですね。席を立って逃げた、こんな研究所の話を聞いてもしょうがないと言って。
近衛さんは非常に我々の意見に同意して、これは近衛さんは逆に戦を今始める時じゃない。ことに英米を相手に、世界の最大級と、それもいつ出来るか分からないというような状況で戦を始めたら大変だというような考えで、なかなかいい研究だと言って、私が直接じゃないけれどもそう言って褒めてもらった。
ところが、東条英機はこんな事じゃしようがないと。だから、近衛さんは追い出して、自分が総理兼陸相になって、こうなるともう既に日本の行き先は決まっちゃったようなものです。

もう海軍は作戦は負けないという、陸軍はイギリスやらアメリカの陸軍なんか、ソビエトさえ出てこなければ、もうそんなものは赤子の手をひねるように。
だからもう開戦は、もう決定しておりました。
恐らくこれは東条その他のいわゆる主戦派の連中の、海軍は及川(古志郎・兵31)さんだっけな、海軍の首脳もそれに引きずられて、これをやめさせるような段階ではなかった。

そのようないきさつで、ほかの総力戦研究でもう一つ考えたのは、大義名分という事。大義名分の立たない戦は勝てない。
日露戦争でも日清戦争でもそれは十分に大義名分。その当時はソ連が満州へ、漁場まで取った。いずれ朝鮮から日本に来るに違いないという関係で、やむにやまれず立ち上がったのが日露戦争じゃないかと思う。
ところが今度の戦は、今だから違反に当たるかもしれませんが、陸軍を満州に突撃させた。さらに上海事変をきっかけに、北支方面軍を派遣し、南京攻略、それから重慶。私はどういう関係か、南京攻略戦には、松井太久郎(士22)さん、陸軍参謀と一緒に馬に乗ってました。それから、その時の半島攻略作戦の時は、水上機母艦神威の艦長で、私だけの考えで陸軍作戦で爆撃したんです。

そのような関係で、その当時、これは私が言い出したわけ、線と点の攻略では大陸の支那は征略できないよと。どことなくそういう雰囲気が残った。
しかし攻略しても、支那の大陸の占領なんかもちろんできない。
そのような状態で、いずれにしても日本は何とか陸とくっつけているでしょう、満州国一つ取っても。意見がどうのこうのと。
理屈は付くかもしれませんが、第三国から見ますと、ことにアメリカ辺りは日本は満州を侵略して取っちゃった。日本の侵略を押さえるのはもう当然だと。

当時軍需生産が、工作機械の高級なものはアメリカから買っていった。アメリカは工作機械が色々ある。重油もある。それを売るなとなった。
それでその当時の、東条さんからみんなが、このままでいたら日本は立ち枯れになる。もう最悪、イチかバチかでいいから戦を始めなければいけないという理屈を付けたわけです。

しかし、これは日本だけでは理屈は立つかもしれないが、第三者のアメリカ辺りから見たらそんな理屈は立ちはしない。
だからそういうような考えで、この辺から総力戦、つまり国力戦という考えが大義名分。それから大義名分が立っていない。
 

日本は航空戦力の使い方をアメリカに教えてしまった

松田 それから、その次に初めて私の本職ですが、作戦の、私は作戦でさっきも申しましたけど、若い頃にだいぶ戦争の研究をやって、それから海軍大学の学生、それからアメリカの駐在員。
ですから帰ってすぐ軍令部の作戦を、ほとんどが作戦で頭が固まっちゃって、そういう意味で作戦という見地から、これは非常に私は常識ですけれども、実際に山本(五十六・兵32)長官がおやりになった戦の跡をよく検討するような形で、平たく言えば、まるで素人の戦だというような考えを持っています。
そういうような意味で、決して山本長官を非難したわけじゃない。
やはり立派な長官ですけど、私は旗艦だった大和で長官と3カ月だけ一緒で、その時にお話をした。それだからこれはだれが悪いか知らないけど、ああいう戦になっちゃったの。

それで私が考えてみると、山本さんは航空本部長その他、もともと鉄砲屋が航空畑に入って、そして航空の非常な権威者になられる。
その他航空部隊それらの海軍全般ですけれども、航空に非常に力を入れる。でも、それから私は開戦の直前に摂津艦長で、爆撃標的艦をやった。これは日本の航空戦力は相当なものだ。恐らく山本長官も、航空戦力が完璧な限り、アメリカなんかに負けやしないという自信を持っておられたと思う。
ただ、その使い方がパールハーバーでまず一撃を加えるか、或いはもう少し敵をこっちにおびき寄せて、もっと深い海で撃沈してしまうと、その辺の航空戦力の使い方ですね。これをちょっと誤った。

ご承知のように、パールハーバーでは海が浅いから日本の魚雷でやっても沈みはしない。ほとんど一瞬、だけど後は全部生き返らせちゃった。そして後でアメリカの機動部隊と一緒になって戦する。だから、これは何も役に立ってない。
ところが、逆に今度は不利な点がある。
アメリカの海軍の一般の常識としては、飛行機では戦艦に対しては致命傷を与えられないというのが常識、戦艦を沈めるのにはやっぱり戦艦の巨砲じゃなくちゃ駄目という考えだった。日本もそうなふうに。
ところが日本の航空戦力は魚雷をもってすれば戦艦でも何でもすぐに沈めるんだと。これをアメリカに教えてやったようなものだ。それから大急ぎで、アメリカも恐らく航空魚雷の研究をやっただろうと思います。

それから、なるほど現役の、つまり現存の航空戦力、海軍、それはアメリカには企画では負けないと思っています。後の補充能力が、どうせ航空機はある程度消耗品と考える。飛行機の補充能力。
私がおりました当時のアメリカのパイロットの国内登録、パイロットの数は一口に言えば日本の10倍ぐらい。それから端から見せてもらったから。航空機は恐らくは、大まかに日本の10倍ぐらいじゃないかと。
従って、航空で戦を始める。そうすれば、こっちはその時は補充しないといけない。補充する能力において、そういう事を考えると、やっぱり航空機を主として戦をするという事は日本には不利だと。大和でさえ航空魚雷でひっくり返る。これは日本がアメリカに日本の大和を沈めるのには、魚雷で撃てば大丈夫だという事を教えてやったようなものです。

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