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真珠湾攻撃は失敗だった?~元・海軍中堅幹部たちの述懐

2018年12月05日 公開
2022年08月09日 更新

海軍反省会

リメンバー・パールハーバー

松田 それからもっと大事なものが一つ。
アメリカでいう宣戦布告という事を考えて、日本が先に宣戦布告するだろうという事は大体予想はしていたけれども、宣戦布告なしでパールハーバーをやった。
そして、見掛けだけは戦艦がほとんど全滅した。もうアメリカの海軍は当分立てない。
しかしアメリカ人は、決して日本なんかに負けるなんていう事は考えていなかった。
何とかしてこれは勝たないかん。だから、リメンバー・パールハーバーでこしゃくな日本をやっつけようと。
いわゆる後で出た、私でいう総力戦体制に立ち上がった。

そして航空母艦は2年かそこらで出来上がる。それから潜水艦、それからいろいろな、戦艦は5〜6年、アメリカでも5〜6年かかると思います。だから航空母艦、潜水艦、そして日本を傷めるのに一番具合がいいのは飛行機と潜水艦。B29が何機か行く。
それは飛行機で軍艦を沈めるわけじゃない、日本の生産能力、或いは資金、国民の戦意、国民の戦意を叩きつぶすのにアメリカは絞っていますから、B29。それが託す大本はパールハーバーです。

(中略)

ですから戦艦を少し叩いて、アメリカ人を憤激という言葉使った、憤激させた、怒らせた。
それから、その作戦の効果は一時あったけれども、それは後でもうゼロになった。
そして、一番苦手な航空母艦を取り残したために、それがミッドウェー海戦で日本の赤城、加賀、飛龍、蒼龍、それで全滅した。こういう所がどうも……。

第一私はきっちりとですけど、真珠湾攻撃は度外視、戦で負けた、大ごとだったという考えを、私は結果論でなくて公平に見て、その当時でももうちょっと深入りして考えれば、日米の航空比較なんかを考えれば、航空だけでは勝てない。なるべくならば大和・武蔵とかで、向こうも乗ってくるんだから、戦艦いわゆる艦隊決戦で、この時に日本の航空戦力をうんと使って、主力艦の5対3ぐらいの比率で大丈夫かという事まで考えが及ばなかった。

実はこの事は軍令部のずっと私より先輩の方々が日露戦争以来ずっと、毎年毎年、作戦の組み方、多少の変化はあるけれど一貫した方針で、軍令部の作戦課に残してやった。
これをどういういきさつかさっぱり私には分からなかったが、その軍令部の作戦計画、それを根こそぎ蹴飛ばして、そんな連合艦隊独特の作戦でいけば、それが今見たような、私でいえば素人の思い付き作戦。
一応理論としてはなる。パールハーバーでやっつける。それから、その次はミッドウェーを取る。あっちを取る。そしてその次はアメリカ、ハワイを取って、アメリカ本土に上陸する。陸軍はアメリカの陸軍なんかは問題にならないから、どんどんアメリカ全土を攻略する。このような考えがあったんじゃないかというような私の想像ですから、これがもし違っていたら謝ります。

(中略)
 

真珠湾後の戦艦の位置づけは?

土肥 松田さんの話に、ご質問は。

(中略)

小島 今日はあなたのお話を聞いて非常によく分かった所がたくさんあるんですが、もう一つちょっと分からない所があるんです。

パールハーバーの時の戦争で、戦艦を飛行機でやっつけられるという事を日本が実践して教えてやったようなものだと、これは非常にいい事だと思いますけれども、パールハーバー以後の日本の戦艦の使用法は、今のご説明で合っているんですか、合っていないんですか。
そうすれば大和・武蔵は沈めずに済んだんでしょう。戦争で使ったら戦艦は沈められるというのは分かっているから使ってないはずで、それ以後の戦艦の使用法は、日本海軍は今の説明で合っているのか、合っていないのか。合っていなければ、前の説は一つの意見であって、ずっと流れているのは違いやせんかと。

また、信濃を改造したのはだいぶ後ですから、パールハーバーの後、信濃は戦艦にせずに航空母艦にするというならば、今の思想は非常に具合がいい。とにかく何というか、非常にものが老化していく思想がどうしてずっと戦争を指導していたんじゃないかと、こういう気がしているんです。

その辺をちょっとご指導願いたいと思います。

松田 パールハーバーで敵の戦艦をやっつける。そうすると、こっちは戦艦はほとんど用がなくなっちゃった。

曽我 ええ。用がなくなればスクラップにして使えるんですよ。戦艦はスクラップ。燃料は余計食うしね、そっちがあるでしょう。
なぜそういう事を言うかというと、私、スクラップの足らない時に大和・武蔵をスクラップにしましょうと提案したら、私はしかられたんです(笑)。
とにかく上層部は非常に硬化した頭で戦争を指導していたんじゃないかと思っています。この辺の所は、ぶしつけですが。

(中略)

寺崎 曽我君に答えるわけじゃないけど、マレー沖の海戦と真珠湾攻撃で航空が非常に重要であるという事をアメリカに教えたんだよ。
アメリカはすぐ転換したが、日本は非常に遅れたんだ。
だから主力艦の後は、実際は航空母艦の護衛、僕なんかは「あ号作戦」の時に長門、みんな大和・武蔵も護衛兵になったんだ。航空母艦も。
そういう思想は日本では、主力艦は援護と。それから、航空の空襲があれば主力艦がそれを吸収して、航空母艦の作戦を支援するという、チャンバラではなくて、それを援護するという思想に転換したな。主力艦の使い方は効果大有りだった。さっきの四航空戦隊辺りの海戦では、敵機を全部吸収しちゃったんだ。敵の機動部隊の攻撃を。

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