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玄宗~志高き英邁な皇帝の残念な後半生

2019年02月15日 公開

守屋淳(作家)


唐大明宮国家遺址公園(陝西省西安市)
 

志は他人が奪うことはできない。しかし……

「志」とは、人が大事を為そうとするさいに最も必要とされるものだ、と古来考えられてきました。『論語』のなかにも、有名な次の一節があります。

どんな大軍でも、その大将を虜にすることができる。しかし、いかにつまらない人間でも、その志を奪うことはできない。

(三軍も帥を奪うべきも、匹夫も志を奪うべからず)『論語』子罕篇

人がかたく心に誓った「志」は、どんなに他人が奪おうと思っても奪い取れるものではない、というわけです。確かに古来、大事を為した先人たちは、逆境や他人からの妨害に負けず、みずからの「志」を貫き通した人ばかりでした。

しかし皮肉なことに、この言葉は、裏を返せば次のようにも言えてしまう面があるのです。

「志は他人が奪うことはできない。しかし、しばしば自ら腐らせてしまう」

中国史上、この象徴的な例が唐の玄宗に他なりません。

「大唐帝国」ともいわれる唐王朝は、中央アジアやペルシアなどの国々とグローバルな交流を推進し、きらびやかな文化が栄えました。日本もその文化を学ぼうと遣唐使を派遣したのはあまりにも有名な話です。

そんな唐王朝のなかでも、最も繁栄した時期を築いたのが玄宗皇帝でした。彼の治世の前半は「開元の治」と呼ばれ、史上まれに見る盛世だったのです。

もちろんその陰には、玄宗皇帝の身を削るような努力がありました。彼には、こんなエピソードがあるのです。

当時、韓休という硬骨の宰相がいて、玄宗にささいな過ちでもあろうものなら、すぐさま飛んできて、口うるさくいさめるのが常でした。ある日、玄宗は鏡に自分の顔を映して、「少しやせたかな」とつぶやきました。すると左右の者が、「韓休が宰相になってから、陛下はおやせになったようでございます。いっそのこと、あのガンコおやじを辞めさせてはいかがでしょう」と進言しました。すると玄宗、こう答えたのです。

「わしがやせても、天下が肥えれば、それでよい。……韓休を宰相にすえているのは、国家のためであって、わが身のためではないのだ」

玄宗は、泰平の世をつくり出すという「志」に燃えて、政治と向き合っていました。だからこそ、こんな言葉も出たわけです。

しかし実際に泰平の世が実現し、それが続いていくと、玄宗は「志」を腐らせていきます。その象徴ともいえるのが、楊貴妃との恋愛でした。

もともと楊貴妃は、息子の妃でした。ところが気に入った玄宗が、自分の妾にしてしまったのです。まさしく渡辺淳一の小説にでも出てきそうなエロ親父になり下がってしまったんですね……。

楊貴妃との恋愛にうつつを抜かすうちに政治は乱れ、やがて「安史の乱」という内乱が起こります。この事件の責任をとって玄宗は退位し、楊貴妃は殺され、唐王朝は滅亡への長い下り坂を転げ落ちていきました。『礼記』という古典には、

志は、すべてかなえられないほうがよい。楽しみの追求もほどほどにしたい。

(志は満たすべからず、楽しみは極むべからず)『礼記』曲礼上篇

という言葉もあります。下手にかなってしまった「志」は維持がきわめて難しく、大半は腐敗して、本人を転落させる元凶となってしまいがちなのです……。

※本稿は、守屋淳著『本当の知性を身につけるための中国古典』(PHP研究所)より、一部を抜粋編集したものです。



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