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光武帝~三国志の英雄・曹操が「お手本」にした皇帝

2019年03月01日 公開
2022年12月21日 更新

守屋淳(作家/中国文学者)

万里の長城

中国の英雄の中には、お手本の人物を設定していた者もいた。中でも曹操は、後漢王朝を創始した光武帝を手本としていたという。その事実がわかるエピソードを、作家の守屋淳氏が紹介する。

※本稿は、守屋淳著『本当の知性を身につけるための中国古典』(PHP研究所)より、一部を抜粋編集したものです。

 

英雄には、お手本がいる

武帝(前漢)
前156~前87年。本名は劉徹、諡号が孝武皇帝。前漢の第7代皇帝。衛青、霍去病などの将軍を擁しての匈奴との戦いで有名。領土をシルクロード、安南、朝鮮にまで広げた。

ビジネスではよく「ベンチマーク」という言葉が使われます。比較のための指標、といった意味で使われていますが、中国の英雄たちのなかにも、こうした「ベンチマーク」や「目標」を持っている人が少なくありません。

たとえば、漢王朝の武帝。衛青や霍去病といった将軍の活躍による匈奴討伐などで有名ですが、彼が「ベンチマーク」としていたのが、秦の始皇帝でした。始皇帝は、約550年間も続いた戦乱の時代を終わらせて中国を統一し、20世紀まで続いた皇帝制度を始めたことで有名な人物です。

そんな始皇帝は、中国を統一した後に、何回かにわたって全土を大旅行してまわりました。

一方、漢の武帝も同じように、皇帝になった後に全土を何度もまわっているのです。ちなみに、このときにつき従っていた1人が、歴史家の司馬遷。彼は、このときの取材の成果を取り入れつつ、有名な『史記』を著しました。

さらに始皇帝は、本当にすぐれた天子があらわれて、天下が平和に治まったときのみ行う「封禅」という儀式を、三皇五帝という伝説の王たち以後に、初めて行いました。

武帝もまったく同じ儀式を、皇帝となった後に執り行っています。細かい話は他にもありますが、どう見ても始皇帝を「ベンチマーク」、悪くいえば猿まねしていた節が見られるのです。

さらに時代は下り、三国志の英雄の1人である曹操にも「ベンチマーク」となるべき人がいました。それが、後漢王朝を創始した光武帝(劉秀)。

たとえば、光武帝が王郎というライバルを撃破した後、その陣営から秘密文書をごっそり押収したことがありました。そのなかには、光武帝の配下で、こっそり王郎陣営と通じている内容のものがあったのです。

しかし、光武帝はその文書にまったく目を通すことなく、諸将の前で焼き捨てさせました。そしてこう言ったのです。

不安に駆られている者たちを安心させてやるのだ。
(反側子をして自ら休んぜしむ)『後漢書』光武帝紀

光武帝一流の人心掌握術ですが、これを真似たのが曹操でした。彼も、最大のライバルであった袁紹との「官渡の戦い」の後、まったく同じ状況になったことがありました。袁紹陣営から接収された秘密文書を前に、彼の取った行動は光武帝と同じ、文章をすべて焼き捨てさせることだったのです。

しかし曹操は、ある大事な一点だけ、光武帝を真似しなかったことがあります。そしてそれが、彼の運命を大きく分けることにもなったのです。

光武帝が天下統一の途上、隴右(ろうゆう)地方を平定した後に、今でも使われるこんな言葉を残しました。

隴右は手に入ったが、今度は蜀を手に入れたくなった。
(すでに隴を得てまた蜀を望む)『後漢書』光武帝紀

1つ手に入れれば、次も手に入れたくなるという人間の欲深さを言い当てた名言ですが、曹操もまったく同じ状況に直面したことがありました。しかし、彼はこう述べるのです。

人は満足しないことに苦しむものだ。もう隴右を手に入れたのだ。どうして蜀を望もうか。
(人は足ることなきに苦しむ。すでに隴右を得て、また蜀を得んと欲するや)『三国志』魏書

こうして曹操は、兵を引いていったのです。実はこのとき、曹操の参謀だった司馬仲達は、蜀を攻めるべきだと進言していました。劉備が蜀に政権を使ったばかりでまだ安定していない時期であり、勝算はあったのです。

なぜ曹操は、このときばかりは光武帝の真似をしなかったのか、もしリスクをとっていれば...これは歴史の謎としかいいようがありませんが、実際に生死のかかった当事者としては、賭けの要素の高い方策を、安易にとれなかったというのもまた事実なのでしょう。

 

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