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徳川光圀は、なぜ『大日本史』を編纂したのか



2019年02月21日 公開

童門冬ニ(作家)

水戸彰考館跡
水戸彰考館跡

『史記』で人生を悟る

父の徳川頼房は、光圀を跡目相続人と決めたときに、傅役として、伊藤玄蕃、小野角右衛門、内藤儀左衛門という3人の武士をつけた。伊藤と内藤は役目の範囲内で光圀を育てたため、光圀がいかにかぶき者ぶりを発揮しても、あまり意見をいわなかった。いっても聞かなかったからだ。一人小野角右衛門だけがズケズケ意見した。口でいってもわからないので、小野は「諫草」というメモにして、しつこく光圀に読ませた。

初めのうち光圀は「うるさい」といって、「諫草」を跳ね飛ばしていたが、やがて書かれていることに関心を持ち、目を留めるようになった。というのは、小野の書いた「諫草」の中には、中国の文献からの引用が多かったからだ。孔子や孟子などの中国古代の聖人の言葉を引くと、「あなたのこういう行ないは、まさに孔子や孟子のいう、人間としてやってはならないことにあてはまります」などと書いてあった。光圀は小野の博識ぶりに感心し、次第に中国の人物と歴史に関心を持つようになった。

かれは『史記』という本を読みはじめた。ズバリ説教調の孔子や孟子の本よりも面白かった。中国古代の人間の生き方が、活き活きと描かれていたからである。たまたまその中の「伯夷伝」という文章を読んで、光圀は大きな衝撃を受けた。

「伯夷伝」というのは伯夷という兄と叔斉という弟の物語だ。かれらの父は孤竹の国君だったが、死んだとき跡目を継ぐ者の指名をしていなかった。伯夷は、弟の叔斉に、

「父に愛されていたおまえが相続人になれ」

といった。叔斉は、

「兄さんを差し置いて、わたくしが家を継ぐことはできません」

と辞退した。いつまで話しあってもまとまらない。そこで兄弟は相談して、

「いっそのこと、この国を捨てて、2人どこかで自然と親しみながら暮らそう」

と決めた。たまたま、周という国に行った。ここの王である武王が、自分の仕える紂王を武力で退ける企てをしていた。これを知った伯夷と叔斉は、周の武王の馬の手綱にすがって止めた。

「いかに悪王といっても、主人を武力で追放することは不忠にあたります。よくありません」

しかし武王は、

「紂王は悪王であって、すでに王ではない。ただの人間だ。わたしはただの人間を征伐しに行くのだ」

といって、言葉どおり紂王を追放してしまった。

光圀はこの話を知っていた。そして、小野がしきりに引用した孟子は、

「周の武王の行為は正しい。紂王は悪王であって徳を失っていた。徳を失った王は王ではなく匹夫である。周の武王が退治したのは匹夫であって、王ではない」

と武王を支持した。そして、孟子はこれを「放伐」と名づけた。孟子の放伐の理論は、下克上の論理として、戦国時代には日本でも活用された。ところが、光圀が衝撃を受けたのは、孟子が肯定する周の武王の行為を、伯夷と叔斉は最後まで「間違ったことだ」と否定した勇気に対してである。

もう一つ事情があった。それは、この頃の光圀はすでに自分に頼重という兄がいて、四国高松の藩主になったことを知っていた。同時に、その兄もまかり間違えば水にされて、生まれてすぐあの世に送られていたかもしれないことも知っていた。同じ生まれ方をしたのにもかかわらず、兄を差し置いて自分が水戸徳川家の当主になった。そのことが、光圀にはずっと引っかかっていた。かれの非行の一因には、この兄の存在もあった。「伯夷伝」を読んで感動した光圀は、水戸徳川家の今後の相続について、とてつもない方法を考えだした。

同時に、それまでの非行をピタリとやめた。まじめな相続人になり、民を治める知識や技術を学びはじめた。そして、根底になる「愛民」の思想を学んだ。光圀は生まれ変わったのである。『史記』という一冊の本が、光圀に根源的な自己変革を促したのだ。

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