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縄文人は戦争を誘発する農耕を拒んだ?

2019年04月17日 公開
2022年06月23日 更新

関裕二(歴史作家)

「縄文」の新常識を知れば日本の謎が解ける

 

戦争が始まった具体的証拠

さらに佐原眞は、具体的な証拠を、以下の通り羅列する。要点をまとめておく。

A 守りの村=防禦集落(町・都市) 高地性集落 環濠集落 逆茂木など
B 武器 弓矢、剣、矛、戈、武具など
C 殺傷(されたあとを留める)人骨
D 武器の副葬=遺体に副える
E 武器形祭器=武器の形をした祭祀、儀式の道具
F 戦士・戦争場面の造形

その上で、このような考古学資料がみつかる地域は、北部九州から伊勢湾沿岸までの範囲で、環濠集落・高地集落が存在し、ヤジリが発達していること、この地域で戦争が起きていたこと、南部九州・長野・北陸・新潟・東海・南関東は、戦争は知っていたが実際に戦っていたかどうかはわからない社会だと指摘している(前掲書)。

ヤマト建国の直前には倭国大乱が勃発していたが、春成秀爾はその原因を鉄と流通にあったと推理している(『日本史を学ぶ 一』有斐閣)。

抗争が始まったのは弥生中期中ごろで、人口増に伴い、前期の氏族社会が一度分裂し、新たな耕地を開発する段階だった。農業共同体ごとに、高地性集落が形成されるが、その分布域が、銅鐸文化圏とほぼ重なる。高地性集落は防御力が強く、「攻められる側」と、想定できる。

この文化圏内では、石製武器や石製利器が原産地集団から交易によってもたらされ、この中で抗争が起きていた可能性が高い。乱は石器を多用する時代に勃発したが、鉄器時代に移行し終わった時点で収束していることに、春成秀爾は注目している。

朝鮮半島南部から鉄を輸入するに際し、見返りの物資がなければ手に入れられない。さらに、石器に比べて格段と効率の良い利器を私的所有することで、「原始的平等で貫かれた農業共同体の真只中に重大な矛盾をもちこんだ」(吉田晶・永原慶二・佐々木潤之介・大江志乃夫・藤井松一編『日本史を学ぶ 1 原始・古代』有斐閣選書)といい、集団内での公平を期すために、他の農業共同体から財を奪ったという。これが倭国大乱の真相ということになる。

いずれにせよ、弥生時代に本格的な戦争が勃発していたことは、間違いない。

 

縄文人は戦争を誘発する農耕を狂気とみなした?

人類学は、人口の急増を問題視する。穀物の高栄養が、寿命をのばし、幼児の死亡率を下げる。穀物から離乳食を作れるので、乳離れが早まり、多産が可能となる。子供も老人も、労働力としてある程度期待できる。かたや集団移動をくり返す狩猟社会では、子供は足手まといだ。

狩猟社会では、食料の種類は豊富だったが、農耕の場合、資源は単一化する。不作になれば、命がけでよそから食料を奪ってこなければならない。ここで、戦争が始まる……。しかも、土地や水利の奪いあいも起きるわけだから、恨みが恨みを買い、戦争は反覆し連鎖していく恐れもあった。

もう一つ、定住生活の始まりが、戦争を招く可能性がある。苦労してせっかく開墾した土で、人びとは農耕を営む。土地に対する執着が、排他的な発想に結び付いていくというのだ。

ただしそうなると、三内丸山遺跡のように、「定住生活を始めていた縄文人」の場合はどうなるのか、という問題が立ちあがる。そこで、「思想」がからんでくるのではないか、とする説が登場する。

考古学者・マーク・ハドソンの次の仮説がある。大陸ですでに行われていた農耕を、縄文人たちは知っていたはずなのに数千年もの間手を染めなかったのは、縄文社会側のイデオロギー的な抵抗だったのではないかとする。

この考えに共鳴した松木武彦は、この「抵抗」は、戦争にも当てはまると考えた。縄文時代、すでに大陸では戦乱が起きていて、朝鮮半島にも迫っていた。しかし縄文人たちは、それを無視している。

本格的な稲作農耕と戦争とは、当時の東アジアの地域では、一つの文化を構成するセットをなしていた可能性が考えられる。だとすると、固有の伝統を守りつづける傾向が強かった縄文の人びとが稲作農耕を「拒絶」したことが、それと表裏の関係にあった戦争の導入をもはばむ結果につながったのではないか(松木武彦『人はなぜ戦うのか 考古学からみた戦争』講談社選書メチエ)。

なるほど、無視できない指摘だ。稲作農耕を拒絶したことで、表裏の関係にあった戦争を、たまたま阻むことになったのかというと、むしろ「農業をはじめれば戦争になる」という現実を目の当たりにした縄文人が、「狂気の沙汰」と察知し、だからこそ、稲作を拒み続けた可能性も考えてみたい。縄文的な文化を残した人たちは、なぜかその後、水田稲作を選択しても、「強い王の発生を嫌う」傾向にあるからだ。

ただし、狩猟民族が平和的で農耕民が戦争好きという単純な図式で括ってしまってよいのか、という反省も登場している。

たとえば、世界史レベルで見れば、石器時代にすでに人は戦っていること、英語圏の武器「weapon」は、石製利器を含むこと、縄文人骨の中から殺傷痕が認められるものも見つかっている。

戦争の発生原因を農耕社会の発達や円熟に求めず、社会そのものの複合化や階層化社会の発展段階と結びつける見解もままみられる(森岡秀人『列島の考古学 弥生時代』)

と、慎重な態度が求められている。しかし、日本以外の地域の新石器時代は、農耕社会であり、縄文人も、人を恨めば殺人もしただろうが、組織的な戦闘の痕跡は見当たらない。ここが、大きな意味を持っている。

じつは、ヤマト建国も、この縄文的な発想によって成し遂げられたのではないかと、筆者は疑っている。ヤマト建国の直前まで、日本列島は、「倭国大乱」と中国側に記録されるほど混乱していた。その騒乱を、魔法のように収拾した事件が、ヤマト建国だった。それこそ、縄文的な発想の賜物ではなかったか……。

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