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懿徳天皇(第4代)と孝昭天皇(第5代)

2019年03月11日 公開
2019年03月29日 更新

吉重丈夫

流れ星

天皇陛下の譲位と平成改元という節目の年に、歴代天皇の事績をふりかえりまます。今回は「懿徳天皇」と「孝昭天皇」をお届けします。

※各天皇の年齢等については数え年で計算して記しています。
※即位年、在位年数などについては、先帝から譲位を受けられた日(受禅日)を基準としています。
※本稿は、吉重丈夫著『皇位継承事典』(PHPエディターズグループ)より、一部を抜粋編集したものです。

吉重丈夫著『皇位継承事典』
 

第4代・懿徳天皇
世系9、即位44歳、在位34年、宝算77歳

皇紀108年=綏靖29年(前553年)、安寧天皇の第二皇子として誕生された大日本彦耜友命(おおやまとひこすきとものみこと)で、母は安寧天皇の皇后・渟名底仲媛(ぬなそこなかつひめ)である。

皇紀123年=安寧11年春1月1日、先帝・安寧天皇の第二皇子・大日本彦耜友命が16歳で立太子される。

皇紀151年=懿徳(いとく)元年(前510年)2月4日、安寧天皇の崩御により、皇太子で先帝・安寧天皇の第二皇子の大日本彦耜友命が44歳で即位される。

同母兄で第一皇子の息石耳命(おきそみみのみこと)がおられたが、翌年懿徳2年にはその息石耳命の女王・天豊津媛命(あまとよつひめのみこと)を皇后に立てておられるので、即位に関しての混乱はなかったと見てよい。

皇紀152年=懿徳2年(前509年)春1月5日、都を軽の地の曲峡宮(まがりおのみや、橿原市大軽町)に遷される。

2月11日、安寧天皇の第一皇子・息石耳命の女王で姪に当たる天豊津媛命を皇后に立てられる。

これまで事代主命(ことしろぬしのみこと)系の皇后が3代続いていたが、ここで近親皇族(姪)が皇后となられた。

皇紀155年=懿徳5年(506年)、皇子・観松彦香殖稲命(みまつひこかえしねのみこと)が誕生される。

皇紀172年=懿徳22年(前489年)春2月12日、皇子の観松彦香殖稲命(18歳)を立てて皇太子とされた。

皇紀184年=懿徳34年(前477年)9月8日、在位34年、77歳で崩御される。

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