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小笠原忠真~戦国最強のサラブレッド!家康が鬼孫と激賞した小倉藩祖

2019年03月13日 公開
2022年11月08日 更新

江宮隆之(作家)

小倉城
小倉城(福岡県北九州市)

甲斐源氏の流れを汲み、曽祖父は織田信長、徳川家康という華麗な血脈を有する小笠原忠真。大坂夏の陣では、重傷を負った父を守って、鬼神の如く奮戦し、豊前小倉15万石に移封後は「九州探題」の役割を果たす。宮本武蔵の養子を抜擢、茶の湯を愛した名君──その知られざる生涯を紹介する。
 

江宮隆之 Profile
作家。昭和23年(1948)、山梨県生まれ。『経清記』で第十三回歴史文学賞、『白磁の人』で第八回中村星湖文学賞を受賞。著書に『北条綱成』『二人の銀河鉄道─嘉内と賢治』などがある。

 

最強の血を受け継いだ男

戦国武将の一人とはいえ、小笠原忠真(豊前小倉藩祖)は、あまりよく知られた存在ではない。だが、その系譜は華麗であり、人脈も実績も併せ持った魅力的な人物である。

残念ながら、これまでも小説やドラマで取り上げられることもなく、脇役でさえなかった。強いていえば、あの剣豪・宮本武蔵の養子・伊織を家老として登用し、武蔵の偉業を伝えた藩主であったことなどで知られているであろう。

戦国の最晩期(徳川幕府黎明期)に「名君」とされるに相応しい実績を残した小笠原忠真とは、どんな武将であり、君主であったのか。その生涯を辿る。

小笠原氏系図忠真の系譜を遡ると小笠原氏は、甲斐源氏の祖・源義光(源義家の弟)に行き着く。

義光から発した甲斐源氏・加賀美遠光の二男・長清が、甲斐国中巨摩郡小笠原村(現、山梨県南アルプス市)に定着して「小笠原氏」を称した。長清は源頼朝の鎌倉幕府に御家人として仕え、阿波守護などに補任されている。

その後の小笠原氏は足利尊氏に従い信濃守護となり、17代・長時の時代に武田信玄と戦って敗れ上杉謙信を頼り、さらには徳川家康に仕えるなどして命脈を保っている。いずれにしても戦国時代までは、武田氏と並ぶ勢力を持っていた。

この小笠原氏が築いたのが深志城であり、後に改修などして松本城(現、国宝)となっている。

忠真は慶長元年(1596)2月、父・秀政の二男として下総国古河城で誕生。一歳年長の兄・忠脩、弟・忠知らとともに、織田信長・徳川家康の「曽孫」である。というのは、時代をやや遡るが、織田信長の娘・徳姫が徳川家康の嫡男・信康に嫁ぎ、二人の娘を生んだ後に「信康事件(信康が武田勝頼と結んで謀叛を企てたとされる事件)」が起き、信康は自刃して果てた。残された娘二人は家康が手元で育て上げたが、そのうち長女・登久姫(峯高院)を秀政が娶って多くの子ども(男女)を生した。信康は家康を、徳姫は信長を、それぞれ父とするため、忠真は兄や弟とともに二人の「曽孫」となる。

つまり忠真(兄・忠脩、弟・忠知も)は、甲斐源氏の流れを汲むだけでなく、家康・信長という最強の戦国武将の血を引く稀有な存在であった。
 

「奮戦見事。まさに我が鬼孫ぞ」

慶長11年(1606)の元服に当たって、将軍・秀忠の偏諱「忠」を与えられ「忠政」を名乗った(忠真は後年の名乗りである)。父・秀政は豊臣秀吉に仕え、その後、家康に仕えた。領地も古河から飯田(信濃)を経て、先祖の領地であった信濃松本に定着するが、その家督は兄・忠脩に譲られた。

慶長19年(1614)の大坂冬の陣には兄・忠脩が出陣。翌年、慶長20年の夏の陣には、父・秀政が出陣し、松本城の守備を任されていた忠脩と忠真もともに幕府に無断で出陣した。本来なら厳罰に処されるところであったが、家康はその勇断を買って従軍を許した。

5月7日、小笠原一族は天王寺・岡山の決戦地にいた。対する大坂方は真田信繁が茶臼山に陣を敷き、明石全登・毛利勝永が脇を固めた。

その茶臼山の正面・天王寺口に布陣した徳川勢は、先鋒・本多忠朝(本多忠勝二男)ら五千。小笠原一族は第二陣として先鋒・本多勢を支える位置にいる。

正午頃、本多勢と毛利勢がぶつかった。本多隊の陣形が乱れ、忠朝は討ち死に。本多隊を救援しようとした小笠原一族は、木村宗明(木村重成の叔父)隊と戦う。

乱戦の中で兄・忠脩は討ち取られ、父・秀政は重傷を負った(後に死亡)。忠真は、父を守って鬼神の如く奮戦したが、自らも数カ所を負傷、鎧を血に染めて退却した。

翌日、京都に赴いた忠真は父と兄の遺骸を荼毘に付し、遺骨を松本に送った。重傷を負っていた忠真には、家康・秀忠から見舞いの使者が送られて「奮戦見事。まさに我が鬼孫ぞ」と家康から誉められたという。

父とともに戦死した兄・忠脩の嫡男・幸松丸(後に小笠原長次)は幼年であったために、7月になって秀忠は、忠真に小笠原家と松本8万石を継承することを命じた。同時に、兄の正室である亀姫(本多忠政の娘・家康の養女・円照院)を、家康の命によって忠真が娶ることになった。

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