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「植物分類学の父」を育てた高知の大自然

2019年03月20日 公開

歴史街道編集部

 

若かりし日の牧野富太郎(写真提供:高知県)

 

1,500種類以上の植物に命名

 高知の偉人といえば、誰を思い浮かべるだろうか。坂本龍馬や板垣退助などの幕末の人物、あるいは戦国時代に関心がある方ならば「四国の雄」長曽我部元親を挙げる方もいるかもしれない。

 しかし、「人材の宝庫」である高知が輩出した傑物は、まだまだいる。その一人が、「日本の植物分類学の父」牧野富太郎である。2016年に放送された朝の連続テレビ小説「とと姉ちゃん」でその名が出てきたり(主人公が恋をした人物が尊敬する偉人)、今年1月にNHK歴史秘話ヒストリアで特集されるなど、近年、にわかに注目を集めている人物だ。

 牧野はその生涯で1,500種類以上の植物に命名して、全国の植物を詳しく記した図鑑を完成させた。驚くべきは、彼が独学で植物学を学んだ点である。その原点には、美しき自然に囲まれる故郷・高知で過ごした少年時代がある。

 

政治論争よりも植物研究を

 牧野富太郎がこの世に生を享けたのは江戸時代末期の文久2年(1862)である。幕末動乱の最中であり、森鴎外なども同年の生まれである。

 牧野の生家は土佐国高岡郡佐川村(現・高知県高岡郡佐川町)の裕福な商家だったというが、幼くして両親と祖父をなくし、6歳からは祖母に育てられた。本を読んだりして暮らしていたが、何よりも好きだったのが植物だった。

「わが家の裏手にある産土(うぶすな)神社のある山に登ってよく植物を採ったり、見たりしていたことを憶えている」とは、牧野自身の述懐である。高知の豊かな大自然が、少年・牧野の心を奪ったのだ。

 青年時代の牧野は、維新後の政治熱の影響を受けて自由党の党員として活動していた時期もあった。しかし、やがて「政治論争の時間を植物研究に向けるべき」と考えて、自由党から脱退。みずからの志は何なのか、真摯に己と向き合った末の決断だったはずだ。

 そして明治17年(1884)に上京すると、東京大学理学部植物学教室の植物学教室に出入りするようになる。下宿の牧野の部屋は、採集した植物や新聞紙、泥などが一面に散らかっており、「牧野の部屋はまるで狸の巣だ」と評判だったという。

 ともあれ、牧野はこうして本格的に植物学研究への道を進んでいく。そのなかでもしばしば帰郷しており、高知への愛着は抱き続けていたようだ。

 

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