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激動の昭和史を生きた昭和天皇の苦悩

2019年04月25日 公開

保阪正康(ノンフィクション作家)

皇居

現在発売中の月刊誌『歴史街道』2019年5月号では、ノンフィクション作家の保阪正康氏が、昭和史を読み解くための方法について、様々な視点から語っている。そのうち、近代日本における昭和の歴史的意味、昭和史を読み解くための3つのキーワードについて、紹介しよう。
 

保阪正康(ノンフィクション作家)
PROFILE 昭和14年(1939)生まれ、 北海道出身。同志社大学文学部卒。平成16年 (2004)、昭和史の研究により、菊池寛賞を受賞。 著書に『昭和史七つの謎』『昭和史のかたち』 『ナショナリズムの昭和』(和辻哲郎文化賞受賞)ほか。

 

近代日本がクライマックスを迎えた時代

西暦でいうと、昭和は、1926年(元年)12月25日から1989年(64年)1月7日まで続きました。

正味の期間は62年と2週間。一世代を20年とするならば、三世代、四世代が体験していることになり、かなり長い時代です。

その間に、戦争、一時的な勝利、敗戦、占領、被占領、あるいはテロ、クーデター、それから貧困、欠食、経済発展、飽食等々、「人類史における、さまざまな体験が凝縮されている」といっていいほどの、人間の行為が繰り広げられています。

日本は幕末に鎖国を解き、明治以降は近代国家として国際社会に入っていきましたが、「明治という時代に、日本人はどう生きたのか」ということは、今でも重要なテーマです。

それと同じぐらい、いや、それ以上に「昭和という時代に、日本人はどう生きたのか」は重要なテーマであり、50年、100年の単位の中で、昭和史は歴史的に検証されるものだと思います。

後世の検証は後世の人に任せるとして、現時点で昭和の歴史的な意味を考えるならば、近代史の流れの中で捉えることができます。

近代日本の150年間は、明治、大正、昭和、平成と、四つの元号の時代があります。この四つを、物語の構成要素である「起承転結」にあてはめると、かなりわかりやすいのです。

明治は、いろいろなものが動き出す「起」。

日本は政治、軍、産業など、さまざまな分野で西洋の近代文明を導入しましたが、基本的には軍事主導体制を選び、日清・日露戦争を経て、西欧列強と肩を並べていきました。

大正は、だんだん動きが絞られてきて、衝突もありながら、発展する「承」。

明治の軍事主導体制を受け継いだ大正の日本は、第一次世界大戦という大きな戦争に参加したけれど、それは日英同盟によるもので、主体的に参加したのではありません。ある意味で、側面から大戦に参加することで、軍事大国、一等国への道を選んだともいえます。

昭和は、起と承を受けて、大きな出来事が起こる「転」。

明治、大正と続いてきた軍事主導体制がクライマックスに達し、昭和20年(1945)に瓦解した。そして、新しい民主主義体制下で、非軍事主導体制になっていきます。

平成は、大きな出来事がおさまっていく「結」。

昭和の後半に始まった非軍事主導体制が、一つの形として出来上がりました。

歴史を「起承転結」で語るのが良いかどうかは別にして、昭和は明治、大正と続いてきた流れに結果が出た、「近代日本がクライマックスを迎えた時代」といえます。

そして、そこには二つの側面があった。明治以来の軍事主導体制の清算と、その清算を元にした新体制の出発です。

これが現在の私たちに考えられる、「昭和の歴史的な意味」の一つだと思います。

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