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昭和23年 ─日本を共産主義の防波堤に。GHQによる占領政策の変更

2019年07月18日 公開
2022年01月21日 更新

平塚柾緒(戦史研究家)

ともに短命に終わった片山内閣、芦田内閣

片山哲そうした中で1947年5月に登場したのが、戦前戦後を通じて最初の社会党内閣である片山哲内閣だった。国民も庶民の味方の社会党内閣に期待し、マッカーサー司令官も「片山氏が新首相に選ばれたことは日本の国内政治が中道政治を選んでいることを強調するものである」と評価していた。

ところが、炭坑国家管理問題や平野力三農相罷免問題などに加え、折からのインフレなどで予算不足となった政府は、鉄道運賃や郵便料金をはじめとする各種料金の倍々値上げでまかなおうとした。これに対して鈴木茂三郎予算委員長ら社会党左派は、「各種料金の値上げは大衆課税につながり、インフレを加速する」として反対声明を出し、政府提出の予算案を否決した。問題山積の片山内閣は追いつめられ、2月10日に総辞職した。8カ月の短命内閣だった。

片山内閣の中道政治を引き継いで登場した芦田内閣だったが、日本の経済復興をめぐる労働組合との対立に加え、昭和電工事件(昭電疑獄)で有力閣僚や高級官僚が逮捕されるに及び、10月7日、総辞職に追い込まれた。わずか7カ月の短命内閣だった。代わって登場したのがワンマン政治で知られるようになる、吉田茂首班の第2次吉田内閣だった。
 

生産再開と食糧増産を!

この年、GHQによる占領統治方針も大きな曲がり角に来ていた。その大きな要因となったのは、米ソを軸とする東西の冷戦激化であった。お隣の朝鮮半島では北緯38度線を境に、南部に大韓民国が成立し、北部にはソ連の支配権に入る朝鮮民主主義人民共和国が生まれていた。中国でも毛沢東率いる共産党軍が、蔣介石の国民党軍を追いつめていた。

こうした北東アジアの政治情勢に促され、アメリカ政府のGHQに対する占領政策の提言も大きく変わり始めていた。すでにアメリカは「マーシャル・プラン」によって、ヨーロッパ復興援助計画と反共政策をリンクさせた政策を展開していた。これを日本の占領政策にも適用しようというのだった。

この年1948年1月6日、アメリカのロイヤル陸軍長官は「日本を共産主義の防波堤にする」と宣言し、そのためには「社会不安が起きない程度の経済的自立」が必要であるとした。すなわち、日本の重工業施設を破壊すれば潜在的戦争能力は破壊されるが、それは平和の潜在力にも悪影響を与える。また財閥解体などで産業の集中排除を徹底させれば、戦争遂行能力は破壊されるが、産業の効率は高まらず、経済的自立が遅れることなどを指摘した。

以後、米政府の占領政策は「ロイヤル路線」に沿って大きく転換し、一斉に鉱工業の「生産再開!」が開始され、食糧増産が叫ばれていった。

工場で働く女性
《東京・大森の人造ルビー工場で働く女子労働者。原石は山梨県の甲府から取り寄せ、ここで溶かして工業用と装飾用を作っているのだが、「本物そっくり」とGHQの係官もビックリ仰天》
 

A級戦犯に判決下る

そしてこの年、国民の耳目を集めてきた極東国際軍事裁判(東京裁判)がフィナーレを迎えようとしていた。2年半に及んだ審理の結果、11月12日にA級戦犯25人に対して判決が言い渡されたのだ。絞首刑7人、終身禁固刑16人、有期禁固2人で、7人の絞首刑は12月23日に執行された。

そしてこの日、吉田首相は衆議院を解散し、少数与党からの脱却を狙った。

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