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安康天皇(第20代)から雄略天皇(第21代)への皇位継承と眉輪王の変

2019年06月08日 公開
2019年06月08日 更新

吉重丈夫

雄略天皇陵 丹比高鷲原陵
雄略天皇 丹比高鷲原陵
(大阪府羽曳野市)
 

第21代・雄略天皇
世系23、即位39歳、在位23年、宝算62歳

皇紀1078年=允恭7年(418年)12月、允恭天皇の第五皇子として誕生された大泊稚武命で、先帝・安康天皇の同母弟である。母は允恭天皇の皇后・忍坂大中姫である。

ここでも皇位の兄弟継承が行われる。

ただし、この承継は先帝による譲位ではなく、次に述べる「眉輪王の変」で大泊瀬稚武命が皇統の皇子を次々殺害し、恐怖の中で自ら即位されたのであった。

即位の経緯としては極めて珍しい例である。
 

眉輪王の変

皇位継承皇紀1116年=安康3年(456年)8月9日、先帝で兄の安康天皇が中磯姫(元・大草香皇子の妃)の連れ子・眉輪王に刺殺され崩御される。

楼の下で遊んでいた眉輪王(7歳)は、はからずも天皇と母(皇后)との会話を残らず聞いてしまって、亡き父・大草香皇子が安康天皇によって殺害されたということを知る。そしてある日、王は熟睡中の天皇を刺殺した。

この事件で、大泊瀬稚武命(雄略天皇)は兄たちを疑われ、まず同母兄で第四皇子の八釣白彦皇子(やつりのしらひこのみこ)を殺害された。

次いで同じく同母兄で第二皇子の境黒彦皇子と眉輪王を攻め殺す。

この2人は安康天皇が刺殺された後に葛城氏の円大臣邸に逃げ込んだ。葛城円大臣が助命嘆願するが聞き入れられず、大泊瀬稚武命は館を包囲し火を掛け、3人とも焼き殺された。

さらに、伯父の履中天皇の皇子で従兄に当たる磐坂市辺押磐皇子(いわさかのいちべのおしはのみこ 後の仁賢天皇・顕宗天皇の父)とその弟の御馬皇子(みまのみこ)をも謀殺される。安康3年10月、市辺押磐皇子は狩りに誘い出されて射殺された。御馬皇子とは合戦になり、敗れて処刑された。

大泊瀬稚武命は安康天皇がかつて皇位を従兄・市辺押磐皇子に譲ろうとされたことを恨んで、皇子を狩りに誘って謀殺したとの説もある。

皇紀116年=安康3年(456年)11月13日、大泊瀬稚武命が39歳で即位される。

大和国泊瀬朝倉宮(はつせさわくらのみや 奈良県桜井市)に宮を置かれた。

先帝・安康天皇が「眉輪王の変」で殺害され、その後の悲劇を経て3ヶ月後に即位された。

即位に当たっては特に問題にされていない。先々帝の皇子で、先帝の弟君であるし、他の候補者は殺害されていて、特に異議を唱える者もいなかったのである。

皇紀1117年=雄略元年(457年)春3月3日、仁徳天皇の皇女で大草香皇子の同母妹・草香幡梭姫皇女を立てて皇后とされた。草香幡梭姫の母は日向髪長媛(諸県君牛諸井の女)である。

この月、3人の妃を立てられる。「眉輪王の変」で天皇に攻め殺された葛城円大臣の娘の韓姫、吉備上道臣の娘・稚姫、春日の和珥臣深目(わにのおみふかしめ)の娘・童女君(おみなぎみ)である。

韓姫が白髪武広国押稚日本本根子皇子(しらかのたけひろくにおしわかやまとねこのみこと 白髪皇子)と稚足姫を産まれる。稚足姫は伊勢の斎宮となられた。

皇紀1138年=雄略22年(478年)1月1日、第一皇子・白髪武広国押稚日本根子皇子(後の清寧天皇)を立てて皇太子とされる。

妃・吉備稚姫との間に磐城皇子、星川稚宮皇子がおられたが後嗣にはなられなかった。

吉備稚姫は吉備上道臣の娘で、もと吉備上道臣田狭の妻であったが、天皇は吉備稚姫の夫・田狭を任那(朝鮮半島)の国司に任じて赴任させ、残された妻の吉備稚姫を奪ってもうけられた皇子たちであった。

皇紀1139年=雄略23年(479年)8月7日、在位23年(22年9ヶ月)、62歳で崩御された。

大伴室屋大連と東漢掬直(やまとのあやつかのあたい)に「星川稚宮皇子を皇位に即けてはならない」と遺詔される。

前年雄略22年1月1日、すでに第一皇子・白髪皇子を皇太子に立てられ、後嗣は決まっているにもかかわらず、ここで改めて「星川皇子を後嗣としないように」と遺詔しておられる。極めて固い意向であった。

「眉輪王の変」をきっかけにし、雄略天皇が次々に皇子(皇統の人)を殺害されたことは、これ以後の皇位継承に甚大な影響を及ぼしたことは間違いない。

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