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三国志、「正史」と「演義」の違いとは?

2019年08月14日 公開

渡邉義浩(早稲田大学理事・教授、 早稲田佐賀学園理事長)

『正史』編纂の裏側

では、対する『正史』が正しいかというと、そうとも言い切れません。

『正史』は、勝者である魏を、正統な王朝とします。そのため、魏の礎を築いた曹操に関する悪いことは隠そうとし、蜀と呉を貶めるというのが基本的スタンスで、全てが正しいとは限らないのです。

なお、『正史』は紀伝体という形式で記され、皇帝の年代記である本紀、臣下の伝記である列伝から成り、劉備も孫権も列伝に記され、名目上は魏の臣下とされています。

つまり、年代順ではなく人物ごとに書かれているため、全体を読まなければ内容がわからず、極めて読みにくい。

ところが、全体を通してみると、著者である陳寿が、様々な仕掛けを施していることが明らかとなります。

例えば、「告代祭天文」という、皇帝に即位したときに、それを天に告げるための重要な文章があります。

この文章は、『正史』の先主 (劉備)伝の中には入っているのですが、曹操の息子で魏の初代皇帝となった曹丕の本紀には、意外なことに入っていません(後世の史家が、注釈では補っています)。

つまり陳寿は、蜀こそが漢帝国の正統な後継であることを匂わせているのです。

それは、陳寿が蜀の旧臣であることが影響しています。彼は諸葛亮の文集である『諸葛氏集』を編纂した功績が認められ、魏の後継となる西晋から、『正史』の編纂を任されるようになった人物です。

とはいえ、魏を否定するのは、西晋の正統性を否定することにもつながり、それを表立ってすることはできません。しかし、蜀への思い入れから、細部に工夫をこらしたのです。

余談ですが、『正史』は呉の記述に関しては不十分な面がありました。そのため、呉の名将として知られる陸遜の孫・陸機が、実現こそしなかったものの、書き直そうと試みているほどです。

ともあれ、こうした背景のもとにできた『正史』に加え、長年にわたり語り継がれてきた講談や民間伝承をもとにまとめられたのが、『演義』です。

『演義』が蜀を正統としたのにも、理由があります。

『演義』がまとめられた明の時代は、朱子学が官学でした。その朱子学の創始者である朱熹は、蜀を正統と見なしていました。

彼が生きた12世紀後半は、漢民族が異民族に圧迫されて華北を失った時代で、そうした境遇を、蜀と重ね合わせていたのです。

そして『演義』の作者である羅貫中も、朱子学に影響されて蜀を正統とし、正義である蜀が敗れていくという「滅びの美学」を描いた文学として昇華させたわけです。

こうしてみると、『正史』と『演義』は、どちらも書き手の想いが込められていることがわかります。現代の我々は、それらをくみ取ったうえで、それぞれ独自の魅力を持った三国志として味わえばいいのではないでしょうか。

※本稿は、歴史街道9月号「三国志・男たちの五大決戦」特集掲載記事より、一部を抜粋編集したものです。



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