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新紙幣の「顔」!渋沢栄一、津田梅子、北里柴三郎ってどんな人?

2019年12月24日 公開

楠戸義昭(作家)

津田梅子
 

津田梅子 女性の自立を目指して

日本人の顔をしたアメリカ娘─津田梅子はそういわれた。

明治4年(1871)、日本初の女子留学生として満六歳で海を渡る。父・仙は渡米経験があり、娘を留学させたのだ。

アメリカにあること11年、帰国した梅子は日本語を忘れ、英語しか喋れず、母と意思の疎通が図れなかった。

彼女はワシントンで日本弁務使館書記官のランメン家に止宿、子供のいない夫婦に、わが子同然に可愛がられ、ピューリタンの精神のもと人格を形成し、9歳で洗礼をうけた。

洗礼を授けた牧師は「梅子は鋭敏であり、数歳年上のアメリカの少女より理解力・談話などでまさっている」と、優れた資質に舌を巻いている。

帰国して伊藤博文邸で通訳兼家庭教師となる一方、塾などで英語を教え、また自らは日本語・習字を学んだ。

帰国して驚いたのは、開明的な父・仙でさえ、女性を男の付属物に思うなど、日本では家庭でも社会でも女性の地位が認められておらず、さらに働く場がなく、「仕事のない人生は無益」と日本に失望した。

再留学して自分を修練する中で、日本女性の進歩のために高等教育の必要性を痛感し帰国、36歳で東京麴町に一軒家を借りて女子英学塾を創立した。

梅子は渋沢がかかわった日本女子大のような、良き家庭婦人を育成する大規模校を否定し、学生と共に住みマンツーマンで指導。英語力をつけるだけでなく、自立精神を養う人格教育に重きを置いた。

梅子は塾から報酬を貰わず、他の学校でアルバイトして自分の身を立てた。

生徒に向かう態度は厳しく、発音やスペルの少しの間違いも許さなかった。それだけに生徒は優秀で、国は女子学校として初めて、英学塾の本科卒業生に、英語科教員を書類だけで審査する無試験検定の資格を与えた。

当初10人だった生徒は3年目に50人にもなった。国の内外からも寄付を仰いで、英学塾は拡大した。

だが梅子の不運は独身を貫く中で、大正になって糖尿病を発症し、これに脳溢血が重なり、第一線を退かねばならなかったことだ。

64歳、志半ばで死んだ梅子を慕う卒業生やアメリカの友人の援助によって、東京小平市に英学塾の校舎ができ、梅子を称えて津田英学塾と改名された。

現在、津田塾大学と呼ばれる構内の一隅に彼女の墓がある。

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