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関ケ原直前の家康の書状を発見! 駿府城にて初公開

2019年10月30日 公開
2022年11月16日 更新

『歴史街道』編集部

関ケ原合戦前、味方を増やすべく徳川家康が諸大名に書状を出したことは知られているが、このたび、その原本が発見された。

書状は、当時駿河を治めていた中村家に宛てたもので、慶長5年(1600)7月27日の日付で出されている。それは、家康が石田三成の挙兵を知った直後の時期にあたり、家康が中村家を味方に引きとめようとして出されたものと考えられる。

徳川家康書状

上掲がその書状だが、現代語訳すると下記のようになる。

式部少輔(中村一氏)が死去したことについて(書状を送ります)。その国(駿河)の支配や軍団の統制などを、一氏が申し付けられたように、疎かにしないよう(してください)。

書状を鑑定した静岡大学の本多隆成名誉教授は、次のようにコメントしている。「この当時、家康は会津の上杉景勝攻めのため関東に下向しており、25日にはいわゆる『小山評定』が行われた。江戸へ戻るため家康が小山を発ったのは8月4日であるから、この書状は小山で書かれている。この一カ月半後の9月15日には関ケ原の合戦となっており、合戦前の緊迫した状況下で出された書状という意味でも、貴重な文書である」

近年、関ケ原合戦の実像をめぐって議論が盛んになっているが、そうした点でも、非常に興味深い発見といえよう。

なお、この書状は静岡市が購入し、令和元年11月4日(月)まで駿府城公園 坤櫓(ひつじさるやぐら)で公開されている。関ケ原前夜の家康の緊張感に思いをはせながら、書状を見てみてはいかがだろうか。

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