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源頼朝と平清盛、源平合戦は国家体制をかけた戦いだった!

2019年11月25日 公開

大村大次郎(評論家・元国税調査官)

あくまで貴族として朝廷を支配しようとした清盛

平清盛の国家プランはどういうものだったのか?

平清盛は、ざっくりいうと「武力を持った藤原道長」というようなものである。つまりは、藤原道長をもう一段パワーアップしたということだ。

平清盛の父、平忠盛は、各地の国司を歴任していた。

越前守(越前の国司の長官)を務めているとき、日宋貿易が大きな富を生むことを知ったといわれている。当時、越前の敦賀港は博多に次ぐ日宋貿易の拠点だったのだ。忠盛は、貿易に積極的に携わるようになり、巨万の富を築いたとされる。

父の背中を見ていた平清盛は、当然、日宋貿易に精を出す。

当時の日宋貿易の最大の拠点は、九州の博多だった。

平安時代の日宋貿易は、まず朝廷が買い上げる商品を選別し、残った品物が商人の手で各地に販売されることになっていた。だが、品物の受け渡しを朝廷が完全に管理できているわけではなく、国司になれば役人や貿易商人を通じて、朝廷よりも優先的に貴重な品物を手に入れることもできたようである。

つまりは、「現場を仕切っているものが一番強い」ということである。

平清盛は、保元3(1158)年に大宰府の「大宰大弐」という官職につくなど、貿易の現場に深く携われるポストを奪取していった。

また清盛は、博多に日本初となる人口港(袖の湊)をつくったとされている。

そして清盛は、博多よりもはるかに京都に近い兵庫に、貿易拠点となる大輪田泊(現在の神戸港)を整備した。大輪田泊には、宋や全国各地からの産品が集積され、畿内の一大交易拠点となった。現在も神戸は国際港として日本の流通拠点となっているが、それは清盛の事業に起源があるのだ。

清盛は、この日宋貿易で巨額の富を築いた。

この当時、宋から大量の銅銭が輸入され、それが日本に貨幣経済を根付かせることになったが、この銅銭の大量輸入も平清盛が手掛けたとみられている。

清盛はこの財力を背景にして、後白河天皇の信任を得て太政大臣にまで上り詰めた。さらに娘を天皇に嫁がせることでさらに権力を強化した。

各地の有力国司の地位も平氏の一族が占めた。平家一族に日本中の富、利権を集中させ「平家に非ずんば人に非ず」とさえ言われたのである。

この辺の経緯を見ても、平清盛は武家政権をつくったのではなく、有力貴族として朝廷政権を牛耳っていたにすぎないということが見て取れる。

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