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第46代・孝謙天皇への皇位継承~藤原仲麻呂の権勢と橘奈良麻呂の乱

2019年11月15日 公開
2023年10月04日 更新

吉重丈夫

平城京
 

知っておきたい皇位継承の歴史

令和改元という節目の年に、歴代天皇の事績をふりかえります。今回は孝謙天皇をお届けします。

※各天皇の年齢等については数え年で計算して記しています。
※即位年、在位年数などについては、先帝から譲位を受けられた日(受禅日)を基準としています。
※本稿は、吉重丈夫著『皇位継承事典』(PHPエディターズグループ)より、一部を抜粋編集したものです。
 

第46代・孝謙天皇
世系34、即位32歳、在位9年、宝算53歳

皇紀1378年=養老2年(718年)、聖武天皇の第二皇女として誕生された阿倍内親王で、母は史上初めて皇族以外の臣民(藤原氏)から皇后に立てられた光明皇后(光明子)である。もっとも、臣民といっても藤原氏は中臣氏であるから、神別氏族である。

皇紀1397年=天平9年(737年)、天然痘が大流行し、光明皇后の後ろ盾として政権を担っていた藤原四兄弟が相次いで死去し、藤原氏の勢力は弱くなり、代わって皇親勢力の左大臣・橘諸兄(敏達天皇の後裔)が国政を担うようになった。

しかしこの頃から、藤原氏は武智麻呂の次男・藤原仲麻呂(不比等の孫)が、叔母に当たる光明皇后の後ろ盾のもとで昇進し、左大臣・橘諸兄と勢力を競うようになる。

皇紀1398年=天平10年(738年)1月13日、阿倍内親王が第二皇子・安積親王を差し置いて、21歳で立太子され、史上初の女性皇太子となられた。この時、安積親王は11歳であり立太子される立場におられたがまだ幼かったこともあって、光明皇后を母に持つ阿倍内親王(後の孝謙・称徳天皇)が立太子された。

皇子・親王がおられる場合は親王が皇統の人として立太子されるのがこれまでの長い日本の歴史上の慣例であったが、これが無視され内親王が立太子されたのである。光明皇后(歳)と藤原仲麻呂(33歳)の権勢による。安積親王の母が県犬養氏の県犬養広刀自で、藤原氏ではないためもあって阿倍内親王の立太子となったのである。

また、聖武天皇の内親王としては、阿部内親王の1歳年長で県犬養広刀自を母とする井上内親王がおられた。この井上内親王は母が藤原氏でないためか、5歳で伊勢神宮の斎王に卜定(ぼくじょう)され、11歳になられた神亀4年、伊勢に下向された。後に光仁天皇の皇后に立てられる。

皇紀1404年=天平16年(744年)閏1月13日、安積親王(17歳)が薨去される。

皇位継承候補としては最有力であったが、藤原氏の権勢に押され、立太子されないで薨去された。

これには前述の通り仲麻呂の毒殺説もある。

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